今日は冷たい風が吹いている。
2月14日バレンタインディ。コーラスの練習の最中にAさんの携帯が鳴る。
今日は彼女の喜寿の誕生日で、熊本在住の双子の妹さんから「おめでとう」と言ってきたのだ。
生まれた日は大雪が降っていて大変だったらしい。
その上双子が産まれてお母様もさぞかし大変やったことやろ。
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平安のシリーズ最終回。
最後に学ぶのは「平安」の最も拠り所とするものであり、信仰者のみに与えられる独特の平安についてである。
聖書 イザヤ53:4、5
私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼らへの懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
この御言葉は有名なメシヤ(救い主)預言の箇所で、イザヤの時代から700年後にキリストの十字架による救いの御業で私たちにもたらされる「平安」を預言している。
この「平安」は「彼」(キリスト)への懲らしめによってもたらされると説いている。
「懲らしめ」とは、キリストを十字架上で刺し通すむごたらしい死刑を意味しているが、それが「私たちに平安がもたらされる」結果となる、とイザヤは預言している。
それは全く世の人の味わい得ない種類の平安である。
どのようなものだろう。
1、罪の裁きから解放する「平安」
聖書は、私たちの命は創造者である神から与えられたもので、その命をどう使ったかを裁かれる時が死後に定まっていると教えている。
そして人間には、
一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、 ヘブル9:27
その裁きは、心の思いや言葉や行いで犯してきた罪に対する裁きで間違いのない裁きである。
それに耐えうる人はいない。
しかし、ここに素晴らしい救いがある。
キリストが身代わりに裁きを受け(懲らしめられ)キリストを信じる者を罪の裁きから永遠に解放してくださった。
それは最高の平安の道ではないだろうか。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。 ヨハネ 3:16
2、最大の不安である死を打ち破る「平安」
キリストは人間の最大の不安である「死」をも打ち破り、永遠の命をもたらす「平安」を与えてくださった。
あなたがたは心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
・・・・・
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 ヨハネ14:1-3
3、人生の嵐からの「平安」
私達は人生において様々な嵐を経験する。
嵐に翻弄され、溺れてしまうのではないかと不安に飲まれてしまう。
しかし全ての支配者である「キリスト」が同じ舟に乗り旅を導いてくださる。
キリストの弟子達も嵐の体験から信仰の糧を学ばせ、またその嵐を最終的に鎮めて下さるお方である。
マルコ 4:38、39