十字架上で語られた七つの言葉のうち、ご自分の体の苦痛に言及された唯一の言葉である。
第五の言葉
「わたしは渇く」ヨハネ19:28、29
十字架上で語られた七つの言葉のうち、ご自分の体の苦痛に言及された唯一の言葉である。
1、キリストは肉体的苦痛を深く味わわれた
十字架刑での長時間の出血は激しい渇きをもたらす。
そのとき語られたのが「わたしは渇く」である。
まさに肉体的痛みと渇きの絶頂であった。考えねばならない事は、
①いったい誰のためであったのかということ。
彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
だが私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 イザヤ53:4
②キリストは私たちの味わう様々な痛みを理解し担ってくださる救い主である。
ヘブル4:14-16
2、キリストは魂の故郷を渇望された
詩篇69:21と関連させる注釈があるが、それだと兵士達に意図的に酢を口に含ませるために「わたしは渇く」と言われたことになる。
むしろ「全ての事が完了したのを知って」のこと。
聖書の預言(人間に代わって罪の刑罰を身代わりに受けるという救いの業)が完成したのを知られ、また個人的に母マリヤの世話をヨハネに託し終え地上での全ての奉仕を完了されたとき、父なる神から出て神に帰ろうとしておられる「魂の故郷への渇望」を語られたのである。ヨハネ13:1、17:11
3、キリストの渇きを癒したのは誰か
兵士達は「わたしは渇く」と言われたとき、渇きを癒す水ではなく罪人に気付けぐすりとして用意していた「酢」を飲ませた。
誰もキリストの渇きを癒したものはなかったのだ。
しかし、そんな中でキリストが「わたしが乾いていたとき、水を飲ませてくれた」と言われた人がいる。
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、
わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、
わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、 マタイ25:35
まことにあなたがたに告げます。
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、
しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、
わたしにしたのです。 マタイ25:40