十字架は残酷な刑である。その痛みと苦しみの中でキリストが深く心配して配慮されたのは母マリアの行く先であった。
イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、
母に
「女の方。そこにあなたの息子がいます」と言われた。
それからその弟子に
「そこに、あなたの母がいます」と言われた。
その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。
聖書ヨハネ19:26、27
1、母マリヤの心の痛み
母親にとって我が子の苦しむ姿は正視に堪えない。しかも不当な犯罪者扱いで苦しむ我が子をそばで見るのはどれほどの心の痛みであったろうか・・・イエスの生後間もなく神殿で母マリヤが聞いた言葉を思い出す。
ルカ2:34、35
2、母マリヤを気遣うキリスト
①「女の方」(女性の尊称)
「お母さん」との呼び方でないのは何故?
キリストとマリヤの関係は血を分けた母と子ではない。
もし母と子の関係だけなら、母にとって我が子の十字架を見るのは苦しみと悲しみでしかない。
十字架は父なる神の御心を行う人類の救いの御業である。
それ故「女の方」と呼ぶことで悲しみに押しつぶされる母子関係から人間として神の救いの業を受け取るようにとの方向転換でもある。
私たちも子供は我が子ではあっても我がものではない。
襟を正すべき。
②その弟子(ヨハネ)に「そこにあなたの母がいます」
上記の関係を示した上で、キリストはヨハネにはマリヤを「母」として受け入れ後顧の憂いなく見て欲しいとの気遣いをされた。
他の福音書を照合するとヨハネの母サロメとマリヤとは姉妹で、つまりキリストとヨハネは従弟関係であったことがうかがえる。
キリストの弟子は10人が殉教の死を遂げている。
ヨハネだけが長生きすることを許された。
彼は「ヨハネの手紙」と「黙示録」を書き表し、マリヤを最後まで世話をした。
イエスは彼が長生きすることをご存知であったから「母」として託したといえる。
天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、
わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。マタイ12:50