折角庭掃除のやる気が起こったのに、今日は朝から雨だ。
仕方なく郵便局へ出かける。
雨の日は空いている。
秋になったので必ず歩くように用事を作ることにしている。
夏は全く歩かなかったので体重が500g増えてしまって減らないのだ。
今日も聖書の勉強。
読者の皆様、お付き合いお願いします。
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聖書の植物(8)ー「ナルド」
金剛バプテストキリスト教会 婦人聖書の集いより
ナルドはオミナエシ科の宿根草で、大変香りが良く、花をすりつぶしてから長い時間油に浸して抽出したアロマオイルは高価で、古代においては花嫁道具の一つになっていたほどである。
マリヤがキリストに捧げたナルドは300デナリ(約300万円)にも見積もられていたことからも、その価値が知られる。
聖書 ヨハネ12:1-8
そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。1
人々はイエスのために、
そこに晩餐を用意した。
・・・・2
マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、
家は香油のかおりでいっぱいになった。3
1、愛の業は最終的にだれが評価されるのか
弟子のひとりで、イスカリオデ・ユダが言った。
「なぜ、この香油を三百デナリで売って、
貧しい人々に施さなかったのか。」5
と、マリヤの愛の業をユダは非難した。4、5
それはユダの会計のごまかしによる不真実な非難であったが、お金の効果に関して言えば福祉につながる指摘で表面的には正しく聞こえた。
しかし主はマリヤの行為を高く評価された。
最終的に評価を下されるのは人ではなく神である。
何をするにも、
人に対してではなく、
主にたいしてするように、
心からしなさい。 コロサイ3:23
2、愛の業の動機は何か
愛の業の動機は誰かを助けようとする人間愛の場合が多いが、
主の評価は違った。
わたしの葬りの日のために、
それを取っておこうとしていたのです。7
ただの葬りなら没薬だが、高価なナルドの香油の注ぎは。主の十字架の死が自分たちの罪からの救いで有ることへの感謝から生まれたもの。
人間愛だけの動機で愛の業をするのは、喜ばれる間は良いが、感謝されないと続かなくなる。
奉仕を含めた愛の業は、神への感謝、救いへの感謝から生まれるべきである。
3、愛の業の原動力はどこから生まれるのか
マリヤの愛の業は、主の十字架の意味を深く知っていたからであるが、この洞察は12弟子さえ十字架の意味を悟り得なかったことを思うと、マリヤの洞察力に驚く。
これは天性のものではなく主の膝元に座って御言葉を聞く態度から生まれた。
彼女にマリヤという妹がいたが、
主の足もとにすわって、
みことばに聞き入っていた。 ルカ10:39
(マルタ マリヤ ラザロ) は姉弟