ようやく日常に戻った。
家の掃除も行き届いてなくて、埃だらけで掃除のし甲斐がある。
庭の掃除も久しぶり。
私が庭を歩かないものだから、蜘蛛が美しい大きなレース編みの巣を秋空に広げていた。
壊すのは忍び無いけれど、壊す。
蜘蛛さんごめんね。また新しいのをせっせと編んでください。
また明日も壊す予定だけれど。
ゼラニウム。暑さと雨で弱っていたけれど、美しく戻ってきた。
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聖書の植物(7)ー「葡萄」
久しぶりの聖書の勉強。
そしてキリストは良く葡萄の木の譬えを通して信仰生活について話された。
その中で一番有名なヨハネ15章から学ぶ。
聖書 ヨハネ15:1-5
農夫=父なる神 葡萄の木=キリスト 葡萄の枝=信者
1、信者が実を結ぶのは神の計画
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、
わたしもその人の中にとどまっているなら、
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、
あなたがたは何もすることができないからです。 ヨハネ15:5
聖書が教える「実」とは
①聖書の実
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制 ガラテヤ5:22、23
②良い働きの実
もしこの肉体の命が続くとしたら、
私の働きが豊かな実を結ぶことになる・・・ピリピ1:22
伝道における回心者や、奉仕や祈りや愛の業における実。
2、実を結ぶ秘訣
枝が実をつけるのは「枝が木につながっている」ことだけである。 4
「つながる」=「交わりがある」と同じ言葉。
信者であれば実を結ぶというのではなく、キリストと生きた交わりを持っている人である。
日々に御言葉に養われ神との交わりがあること。
3、刈り込み
わたしの枝で実を結ばないものは、父がそれを取り除き・・・1
「取り除き」のイメージから、自分のような信者は切り取られてしまう?と恐れるかもしれないが、そうではない。
自分の枝も多くの中で実を結ばない痩せた枝や古い枝は刈り込んで除く。
この刈り込みは、自分の中にある悪しきものである場合も含めている。