今日も良い天気。
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安らぎのある生活 (17)
金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより
誰もが求める安らぎのある生活。
ありがたいことに、神は安らぎを与えると約束しておられる。
聖書が教える御霊の実の一つに「平安」がある。
聖書 ガラテヤ5:22、23
御霊の実は、・・平安・・・です。
神が与えられる「平安」はキリストを救い主と心に受け入れた人に結ぶ実である。
1、実を結ぶには時間を必要とする
今、実を結んでいないのは、将来への準備中でそれはなくてはならない時期である。
神の与える平安は、現実の問題や不安な状況とかの経験を経て与えられるために時間を必要とするのである。
2、クリスチャン生活についての二つの誤解
①平安を経験できないと神から愛されていない、と考える誤解
聖書は、神の御心に忠実に生きる生活をしていても様々な問題や心配事に巻き込まれると教えている。
神が私たちを愛している最大の証拠は「平安」ではなくて「十字架」である。
私たちが罪人であり、それは自分たちの責任なのに、キリストが身代わりに裁きを受けてくださった事実の中に神の愛が記されている事を知ろう。
②平安のない生活は罪の所為である、と考える誤解
人は悪いことが起きると原因として罪を結びつけてしまうが、聖書によれば、罪の裁きは十字架で全部「完了した」のである。
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると「完了した」といわれた。
そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。 ヨハネ19:30
3、御霊のみを結ぶ生活のために必要なこと一つ
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
そうゆう人は多くの実を結びます。 ヨハネ15:5
キリストというぶどうの木につながること。
「御言葉」「祈り」「礼拝生活」という神の交わりに生きる時、神が必要な時に平安の実を結んでくださる。