a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

キリストの譬え話  「ラクダと針の穴」

婦人の聖書の集いより
聖書 ルカ18:18−25


1、役人の質問は何か
 私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるのでしょうか。18

この質問自体は良い質問だが、彼の言葉に問題が見え隠れする。それは「何をしたら」という言葉。

つまり永遠のいのちを得るためには何かの「行い」が必要であるとの理解がそこにある。本当は「信仰」が必要であって、行いではない。

 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。

 それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 行いによるのではありません。誰も誇ることのないためです。エペソ2:8、9




2、キリストのお答え
「戒め」(十戒)を示された意図

十戒の目的は、それを守れば救われるというのではなく、人間の罪の自覚に導き、さらにはそこからキリストへの信仰に至らせる働きをするためのものであり、聖書はそれを「養育係」と呼んでいる。

 こうして、立法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。 ガラテヤ3:24



3、役人の誤った自負心

キリストが「戒め」を示された意図から外れて、役人はそれを「守っている」と言った。 21

これは戒めに対する見方が甘いか、うぬぼれでしかなかった。なぜなら十戒を守り切れる人は誰もいないからである。

 ローマ3:20




4、「持ち物を全部売り払いなさい」と言われたキリストの意図
財産を処分しなければ永遠の命を得られない、という事ではなく、役人が戒めを本当にまもれてはいないという自覚に導くための言葉である。即ち「戒め」の要約は「神と人を愛する」ことであるので、

エスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。マタイ22:36-40 

それほど戒めを守っているというなら、財産を処分して人への愛を示すこともできるだろう、やってみなさい、という意味であり、それによって役人に自分は戒めを守れてはいなかったという「罪の自覚」に導くための言葉であった。




5、ラクダと針の例え

この「針の穴」は裁縫に使う針の穴ではなく、エルサレム郊外にあるラクダがやっと通れる「針の穴」と呼ぶ小さな門のことである。

※立法が入ってきたのは、違反が増し加わるためです。

しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれていました。 ローマ5:20

罪がわかれば十字架のありがたさが分かる。