Mちゃん、お待たせしました。
久しぶりの「私のお父さんシリーズ」続きです。
今まで書いて来たように、20歳になるまでの父の生活は過酷なものだった。
辛抱と努力の成長期だった。
しかし、本来の父は活発でやんちゃな子供だったのである。
幼児の頃、あまりのやんちゃに母親が怒って門の外へ放り出した。
お祖母ちゃんも庇ってくれない。
金沢の冬は寒い。
外は雪が積もっている。
母はそれでも放り出したまま、泣き叫んでも中々入れてくれなかったそうな。
母親たるもの沢山の男の子を育てていたらこれぐらい厳しくなくてはならない。
幼稚園でもいたづらをして(なんでも戯けて踊って見せたらしい)立たされて(幼稚園で立たすか~?)家に帰してもらえなかった。
そこへ学校の帰りの兄貴が通りかかって窓越しに弟が立たされているのを発見「や~い、や~い」と囃し立てたというから、男兄弟って面白い。
兄弟喧嘩で鍛えられていたのだろう。
東京へ引っ越して、小学校で「田舎っぺ~たからっぺ~」と囃し立てられて苛められてもも、負けずに下駄を両手に持って敢然といじめっ子に立ち向かって行けたのだ。
家でメソメソ泣いて「学校でいじめられるねん~」と母親に訴えたら「やり返しなさい。男の子やろ!」と叱られるだろうし、兄たちからは馬鹿にされただろうし。
父の性格は人懐っこいというか、人との会話が上手だった。
悪口風に言うなら「口がうまい」「人をたらし込む」。
だから誰とでも上手く関係を取り結ぶことが出来た。
お得意先とも、仕入先とも、使用人とも、子供も、犬も、ガマガエルも上手く手なづけることが出来る天才だったと思う。
そうかと言って甘く見られることはなく、使用人に使い込みをされたり、騙されたりすることは決してなかった。
大正11年に結婚した母は父より1歳年下。
父は母をうまく口説いたことだろう・・・と想像する(*^^*)
勝気な母も父には従順だったのだろう。
一度も夫婦喧嘩をしている姿を見たことがなかった。
幸せな夫婦だった。
50年後、子供や孫に囲まれて金婚式を祝うことも出来たのだった。
めでたし、めでたし。
つづく