気温は高いけれど爽やかなお天気。
Fさんの告別式に列席した。
膵臓癌と最後まで戦って、見事に主のみもとに行かれた。
残された家族には安らぎがある。
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安らぎのある生活 (5)
金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより。
今回の「安らぎ」は大変有名な言葉である。
聖書 マタイ11:28ー30
1、「疲れ、重荷」が取り除かれる「安らぎ」
すべて、疲れた人、
重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:28
ここで言う「疲れ、重荷」は、誰もが生きていく上で生じる様々な重荷のことである。
人間関係、健康面、家族における悩み・・・などなどである。
そしてこれらの「疲れ、重荷」はキリストのもとに行って、その重荷をおろして休むことができる「安らぎ」である。
なぜならキリストこそ「疲れ、重荷」を愛と救いによって取り除くことができるからである。
2、「キリストのくびきを負う」ことによっての「安らぎ」
あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。 11:29
①この「安らぎ」は上記の「安らぎ」とは違って、キリストから与えられた「くびき」を負うことで与えられる「安らぎ」である。
②「くびきを負う」とは「十字架を負う」ことである。
だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。 マタイ16:24
※十字架を負うとは人生の避けることのできない不幸や苦難のことではない(それは前述の重荷のことである)。
このくびきはキリストが一人ひとりに託されたもので、それを信仰者は愛の故に敢えて負っていくものである。
「重荷は下ろすもの、くびきは負うもの」
③そのくびきはキリストが共に負ってくださるから、思った以上に軽いのである。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。11−30
④そのくびきは、信仰者が「キリストに学ぶ」日々の中で、時至って「安らぎ」を体験するようになる性質のもの。
そうすればたましいに安らぎが来ます。16:29
「雨の日も晴れの日もじっと待っていた。待っていた間に美しくなった」星野富弘