a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

父のこと

昨日のブログで書いた恵比須町の伯母さんも、dollyさんがコメントで書いたおえちゃんも、勿論とっくに過去の人だが、2人とも早くに未亡人になってしまって困難な人生を歩んだ様だ。
昔は本当に若くて死ぬ人が多かった。
父は明治32年生まれだったが、兄弟は8人も居て父は6番目。
出身は石川県金澤で、父が産まれた頃は生活も豊かで、幼稚園に通ったと言うお坊ちゃまだったし兄達は大学にも通っていたが、祖父が武士の商法で失敗し、家は没落した上祖父は亡くなってしまった。
仕方なく長男を除いて他の兄弟は全員養子に行った。昔は子供の無い家は必ず養子を取って家を継がせたものだから、豊かな家に貰われて行った子供達は大学に進み、それなりの道を歩んで行った。
私の父だけ6男なのに、養子に行くのはイヤ!と家に残ったのである。
実家に有る写真を見ると父の兄弟達は皆背が高く、おしゃれでダンディな2枚目だ。私の父だけ背も低くそうハンサムとは思えない。(こんな風に言ったら亡くなった父が怒るかも知れない。お父さんごめんなさい。)でも努力家で生命力も強く運も強く、苦労して起こした事業は発展して今も孫が次いでいるから、すごいと思う。
父の兄達は殆どが30才位で亡くなってしまった。歯医者になった伯父はかなり長く生きたけど子供が無かったし。
昔はちょっとした病でもすぐ死んだのだ。やっと産まれた子供もあっけなくすぐ死んでしまう。父は8人兄弟なのに、私達には従兄はたったの3人しか居ない。
余りにも儚い人々。
しかも父は、これらの未亡人や遺児たちの面倒を良く見ていた。
私の父1人が皆の分を生きたのかも知れない。父は92才まで生きた。
私達子が6人、孫が15人、ひ孫が約18〜20人(数えるのは面倒くさいから誰か数えて。)誰も死なず現在に至っている。