a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

お魚のこと

H子姉ちゃんはお魚が大好き。どんな魚でも上手にせせって食べる。
ところが、終戦前後は最早魚など食べられなくなっていた。例え小さなイワシでもだ。
たまに魚の配給も有ったみたいで、一度鰊の配給が有った。しかしそれは、賞味期限のみならず消費期限も過ぎたようなひどいもので、母とC子姉ちゃんが「何か口の中がモニャモニャするから、これは食べられへんわ。」と残念そうに言っているのが聞こえた。腐った魚しか配給が無いのである。流通の段階で腐ってしまったのだろう。今の様に発泡スチロールにドライアイスなんて考えもしなかった時代である。
私は、今でも鰊と聞くと、あの時のモニャモニャが思い出されて(私は食べなかったにもかかわらず)鰊そばなんかも余り食べたく無いのだ。
H子姉ちゃんは、お魚むしりが大好きだから、ある日、雑炊に入っているだしじゃこをお皿に寝かせて、お箸で丁寧にせせり始めた。そして「何か泣きたくなるわ。」と言った。
ご飯の“お変わり”は出来なくなっていた。“もりごはん“と言って、いま有る分を各自に平等に盛ったらそれっきりだ。
お米には大量の麦や大豆を混ぜて食べた。私は大豆ご飯が苦手で、お箸でつまんで探し出し、お膳に並べて叱られた記憶が有る。大豆なら探し出せるけど、ある時は小さな粟粒が一杯入ったご飯だった。これには泣いた。余りに小さくて選り分けられない。
お米の量を増やす為についに雑炊になった。お米に水を沢山入れて炊いて野菜を入れた雑炊だ。いまのしゃぶしゃぶの後に炊く雑炊を想像してはいけない。かつをだしも、だしじゃこも、いつも有ったかどうか余り覚えてないけど不味いものだった。
最近、五穀とか十穀とかお米に混ぜて食べるのが見直されているが(私も食べている。)あの頃、本当は身体に良いものを食べていたと言えるのだけれど。
いま、鰤大根や、塩焼きの魚を毟りながら食べているとき、あの頃のH子姉ちゃんのせつない気持ちを思ってしまう。
H子姉ちゃん、沢山お魚毟って食べていますか?