a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

ニワトリを食べた話

a-doll2007-05-01

今日は、すぐ上のH子姉ちゃんが登場します。
やっぱり今日も食べ物の話だけど。
裏庭にニワトリ小屋を作ってもらって鶏を数羽飼っていた。
世話係の主任はH子姉ちゃん、私はその助手だ。
ハコベタンポポなどの雑草を沢山採って来て、包丁で細かく刻んで貝殻の砕いたものとぬかを入れ、適当に水を加えて混ぜれば出来上がり。餌箱に入れると、コッコッコッと美味しそうについばむ。
そして産んだ卵を食べるという訳だけど、そうそう思う様に毎日は産まない。また“がばいばあちゃん”の話になるけれど、ばあちゃんは「産め!産め!」と鶏に命令している。何とか孫の運動会のお弁当に卵を持たそうと思うけれど、鶏は産まないのである。
我が家の鶏もそうで、姉妹に行き渡る様に沢山産んでくれる日も有れば、たった一ツという日も有るのだ。H子姉ちゃんは優しいから小さい妹に食べさせて自分は我慢していた。
そのうち全く産まない日がやって来る。ニワトリが年老いてしまったのだ。
そうなると近所の『じゅうちゃん』と言うおじさんがやって来て、ニワトリを食べ物に変えてくれる。早い話、鶏を“絞める”のである。H子ねえちゃんと私はおじさんがやる一部始終をじっと眺めていた。
そして、夕飯は久しぶりのすきやき。ちょっと固いけれど家族の胃袋を満たすのに充分だった。
残酷だと言うなかれ。夫なんかは戦時中に食べた鶏が可哀想だったと今でもかしわが嫌いなのだ。
でもそれは甘い。生きて行く為に飼っていた大切なニワトリさんの命を頂くのだ。ニワトリさんの最後をしっかり見届ける義務が有ると思う。(←ちょっと大げさ)
大草原の小さな家”には、ペットとして飼っていた豚を殺す場面が有る。ローラとメアリーは、殺す時だけ耳を塞いでいるが、後は父さんが豚を捌くのをじっと見学していて、最後にしっぽを貰ってこんがり焼いて食べる場面が出て来る。
これを残酷と言うなら、牛肉も豚も魚も全て食べるのは残酷だ。他人に殺させておいて、商品となった肉を食べるのとどう変わりが有るだろう。
兎に角、私達姉妹はニワトリさんに助けてもらって生きたのだった。この項つづく。