a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

つづき4

昭和になって「ぎんさま」の長男が当時としては遅い結婚をした。
幸せな家庭を営み、昭和5年に可愛い男の子(私の亡き夫)が産まれ、更に女の子も産まれたが、妻(Dollyちゃんの祖母「ひでさま」)が急病で亡くなってしまった。夫はたった5才だった。
2人の子供を抱えて、大阪で難儀をしている息子を見かねた「ぎんさま」は、名古屋を後にしたのである。勿論独身の娘も一緒であった。
男の子は兎も角、まだ産まれて間もない女の子を里子(事情が有って育てられない時に、他人にお金を払って育ててもらう習慣、今の里親制度と少しニュアンスが違う)に出す。と云うのを聞いて「ぎんさま」は矢も盾も堪らず、慣れない大阪へ引越して来た。孫可愛さのあまりである。
我が夫は母を亡くして寂しかっただろうけれど、名古屋から来たお祖母様は彼を溺愛したようだった。「ぎんさま」も娘も、お気楽な生活を犠牲にして大阪へ越して来たからには、幼い兄妹を溺愛せずには居れなかっただろう。
だから再婚の話が有って、実際にしばらく同居したようだったが、新しい妻を決して母親にはさせず、いびり出してしまったようだ(これは私の想像だが)。
かくして、「ぎんさま」の晩年は大阪阿倍野区で過ごす事になったのであった。つづく。