a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

防空壕

a-doll2009-08-21

昨日のブログに防空壕の事を“ちゃちだ”と書いたけれど、家のは空き地に大きな穴を掘って(広さは2坪位、深さは2メートルも無かっただろう)、上に木を組んで屋根として、何か被せてその上に土砂を沢山乗せてあった。床は土の上にすのこを敷いてあったけれど、雨が降れば水浸しになって水を汲み出さねばならなかった。ほんとにちゃちな物だった。
空襲警報を聞くと家族全員そこへ避難するのだった。
私は電車に乗って3つ目の小学校に通っていた。ある日、空襲警報が鳴って電車は不通になった。警報が解除されても電車はすぐには動かない。
母は心配して迎えに来てくれた。母と歩いて帰る途中に再び警報が鳴った。家まではまだまだ遠い。母は私の手を引っ張って道路沿いに有った知らないお宅の防空壕に飛び込んだ。
誰も壕には入ってなかったが、床はぬかるんだ粘土でどろどろだった。膝当たりまで泥に浸かった。「気持ち悪い」等と言ってられない。
その頃敵機は、無差別攻撃で歩いている人は子供であっても容赦なく撃って来たのだ。
学校では、敵機が襲って来たら道の側溝に伏せるようにと注意されていた。
しばらくして警報が解除されて、電車も動き出した。家までまだ駅は2つ有る。二人で電車に乗ったが足下は粘土でどろどろで、少し恥ずかしかったのを覚えている。
友達のT子ちゃん宅を尋ねたとき、防空壕を覗いてみたらそれは立派なものだった。T子ちゃんのお父様はお金持ちで、戦後参議院議員になられた。むき出しの土壁では無くて壁も床も木が張ってあって、ラヂオも備え付けてあった。屋根もしっかりしたもので、これなら雨水も入らないだろうし、ラヂオで警報解除を聞けて良いなあ、と子供心に感心したのだった。
幾ら立派な壕でも、爆弾を落とされたら耐えられる様なものでは無かっただろうから、うらやむ事も無いのである。
庭に防空壕を掘る様な事態だけはもうごめんである。

マッサージ機に入ったクルミちゃん。