a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

主はわたしの羊飼い

a-doll2010-04-09

今年の桜は長い期間咲いている。どこへ行っても桜桜である。私の住んでいる富田林市には桜の木が多い。遠くまで人出にもまれて観に行かずとも充分堪能出来る。
今朝も医者で電気治療をして頂いてから、教会へ行く。

新しく赴任された伝道師のG先生も出席されるのでうれしい。賛美歌の伴奏は、今まで牧師先生がなさっていたが、今は若いG先生がギターを弾いて下さる。

今日の聖書は詩篇23篇1〜6節 有名な箇所だ。
メッセージの題は『主は私の羊飼い』
1、1〜3節は、主は私の羊飼い。から始まって、ダビデが主の恵みを数えている箇所。
 ダビデは苦難の道を歩んでいるのに不足は云わない。不足を数えても仕方が無い。
2、4節は、主語がわたしになり、主をあなたと呼んでいて、父と子の関係になっている。
「たとい、死の陰の谷を歩く事があっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの、それが私の慰めです。」
 むちがどうして慰めになるのかというと、羊飼いの鞭とは短くて羊の身体をペンペンと軽く叩いて方向を気付かせる、痛く無いむちのことなのである。は狼を追い払ったり、穴に落ちた時に救い出すためのもの。
 悪い方に行こうとすると修正して下さり、悪い状況になると助けて下さる。
3、5節では、敵の前でも守ってくださる。面目を保って下さることの喜び。 
 ローマ12章19〜21には、怒りの復讐は私のする事、自分で復讐してはならない。と書かれている。
  6節は、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。とある。

将来を憂うか希望を持つか、ダビデの讃歌を読むかぎり将来の見方が変わって来る。ダビデに見習おう。

最後に素敵な御言葉を教えて下さった。イザヤ46:4 あなたが年をとっても、わたしは背負って、救い出そう。とある。
足が痛くて歩けなくなっても、おんぶして下さるから心配は無いのである。なんて幸せ!

写真は外に出たがるクルミちゃん。リードを付けて庭に出た。猫は散歩は出来ない。犬と違って自分の行きたい方にしか行かないのである。