a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「大震災と信仰」

詩篇46篇1〜3節
 神は我らの避け所、また力。
 苦しむ時、そこにある助け。
 それゆえわれらは恐れない。
 たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、
 その水かさが増して山々が揺れ動いても。
 

日本列島を襲った未曾有の大震災と苦難にたいする神の御心は何か?
聖書 ヨハネ9:1〜3からのメッセージ。
ここでは弟子がイエスに、生まれつきの盲人に対する質問をする。
誰かが罪を犯したためか、この人か、両親か。
災いに対して、祟りや悪い原因(因果応報の考え)ではないかと思う。
イエスは答えられた。
 この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
 神のわざがこの人に現れたのです。
起こったことの意味や原因を追求するのではなく、未来を見て信仰を持って進むこと。
ヘレンケラーは三重苦と云う、大きな苦難をひとりの小さな身に受けた。
信仰を持った家庭教師サリバンの努力で、言葉が理解出来るようになり、信仰を持った素晴らしい女性になった。奇蹟の人と言われる。

さて、災害に会わなかった私たちがなすべきことは何か。
1、ローマ12:15には
 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
辛い目に会っている人の辛さをイメージする。今難渋している人々を思いやることが大切である。
2、揺るがないお方が居られることを信じ、また伝えること。
災害から逃れられたのは、運とか日頃の心がけが良いからではなく、人間の浅知恵では解らないことである。
最後にアフリカのケニヤの首都ナイロビの「キベラスラムマンゴスクール」の子ども達が日本のために歌って祈っている映像のことを話された。
常に哀しい思いをしている子ども達が、泣きながら日本の人々のために歌ってくれた素晴らしい祈りの映像である。