a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

戦時中の遊び

先日、M田さんとN川さんとで、ドラマ「坂の上の雲」の話になった。
テーマー曲の指揮が外山先生(私たちの合唱団は、本番は大阪フィルハーモニー外山雄三先生の指揮で年に2回コンサートをして、私たちは20年在籍していた)やった。というのから始まった話題で、国民学校(小学校)のころ、毬つきや、せっせっせに、日露戦争の歌を歌ってたやんか。と3人で歌ったら、殆ど歌詞を記憶していた。
♪旅順開城約成りて、敵の将軍ステッセル、乃木大将との会見は、ところはいずこ水師營。♪
M田さんは物覚えが良く3番まで歌える。
♪轟く筒音飛び来る弾丸、荒波洗うデッキの上で、闇を貫く中佐の叫び、杉野は何処、杉野はいずや。♪これはせっせっせ。


3人ともドラマを観ながら子供の頃歌ったうたを思い出したのだ。
N川さんが「そんな歌知らんわ」と云ったら、すかさず「あんたとこ田舎やったから情報が遅かったんやろ」と差別発言のM田さん。
N川さん京都丹波育ちだ。負けてないから「私は1年年下やで」。
「年下でも学年は一緒やろ」。シビアや。
この3人は子どもの頃のままのような友だち関係である。
3人とも負けず嫌いだから、ミサ曲を暗譜するとき、誰が1番早く楽譜を放すか競争したものだった。


敗戦近い頃は毬つきに、
♪銀翼連ねて南の全線、揺るがぬ守りは、海鷲達が・・・・我らラバウル航空隊♪のような哀しい歌も機嫌良く歌って遊んでいた。
足でするジャンケン遊びがあった。
グーはあしを揃えて、チョキは前後に、パーは広げて、ジャンケンポン、をするが、
グーは軍艦、チョキは沈没、パーは破裂といった。
ジャンケンポン、軍艦、破裂、沈没と言ってじゃんけんをするのである。
今は何と言ってするのかな。

何の為の戦争かも解らず、おやつも無かったけれど、友だちと仲よく遊んでいたのだ。