暑い日は籐のベッドね。
小学校のとき、子供の遊びはいろいろ有った。
まりつきの時に歌うのは、
♩旅順 開城約なりて 敵の将軍ステッセル
乃木大将との会見の 所は何処水師営
庭に一本なつめの木 弾丸後もいちじるく・・・(文部省唱歌)
(なつめの木とはどんなのかな?と思っていた)
3番まで歌ったから記憶に残る。
戦時中流行ったまりつき歌、私は小学校3年生。
♩銀翼連ねて 南の前線 揺るがぬ守りは海鷲たちが
肉弾砕く 敵の主力 栄えある我らラバウル航空隊(軍歌)
生々しい軍歌である。
内容は知らないまま機嫌よく友達と歌いながらまり付きをしていた。
戦争の実態を知らないから、飛行機が青空高く飛ぶ栄光輝く情景を描いて歌っていたのだ。
朝日新聞15日朝刊に、南太平洋の拠点となったニューブリテン島・ラバウル(源パプアニューギニアに15万人以上の日本兵を投入し、連合軍の攻撃で12万7600人の戦没者が出た。と記載されていた。
遺骨は半分以上収容されていない、とある。
ゴムまりは手に入らなくなって、弾まなくなったまりを一生懸命ついた記憶がある。
せっせせの遊びの歌。
♩夏も近ずく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る・・・
あの頃流行っていたのは、
♩轟く砲音飛び散る弾丸 荒波洗うデッキの上に
闇を貫く中佐の叫び 杉野は何処 杉野は何処・・・日露戦争の歌(文部省唱歌)
戦時中にやった足じゃんけん。
二人で向かい合って立って、じゃんけんぽん。
「軍艦、沈没、破裂」軍艦はグー、沈没はチョキ、破裂はパーのこと。
足は開いたり閉じたり前後にしたり、忙しい。
決着はなかなかつかない。
軍艦が破裂して沈没するのは敵の軍艦だと信じていた。
まさか、日本の軍艦がやられて多くの兵隊さんが海の藻屑となったとは、何も知らず遊んでいた。