百均で買ったサボテンは暑いのに元気。
美容院へカットをしてもらいに行く。
熱中症が心配なので往復車で・・・。
昨日は物を大切に、と偉そうに書いたが、母の世代はもっとすごい。
母は汚れた着物は一旦ほどく。
丸洗いはしない。
ミシンの縫い目じゃないから縫い糸はすーと抜けるので、丸めて裁縫箱の引き出しに仕舞っていた。
雑巾なんか縫う時にはその糸を使う。
布だけでなく糸も大切にしたんだ。
解いた布は洗って布海苔(ふのり)に浸し、しんし針で広げて吊るして干す(よく手伝わされた)。
もしくは張板にぺたーと伸ばして乾かすこともある。
アイロンで伸ばすことは無い。(アイロンは無かったし)
このやり方は今でも応用している。
そういえば洗い張りやさんとか、それを内職にして手間賃を取る人もいた。
汚れた着物を渡すと、表地も裏地も畳んで美しくなって帰ってきたのだった。
また普段着を縫いなおす時は、傷んだり破けた所は繕い、又は布地を当てて縫い(居敷当て)、繕った布は見えない所に来るように仕立てるのであった。
いよいよ悪くなったら前掛けにしたり、風呂敷にしたり、座布団にしたり、ついには雑巾になる。
とことん大切に使い切った。
私の夫の家はもっと凄かった。
継当てした木綿の風呂敷が一杯あってそれを風呂敷で包んである。
何時の時代の物か、どれも細かく継当てしてあって、ちょっとしたパッチワーク・キルトの様で、おいそれと捨てる気にならなかった。
よしのさんの晩年、部屋に閉じこもって一体何をしてたのだろう?と、考えていたのだけど、
多分縫い物、それも自分の物だけではなく、母(娘)の繕いものや、居敷当てを手伝っていたのではないかと思い当たる。
小学生だった私は、寝る前によしのさんに頼まれて、50本の針に糸を通してこぶも作っておいた。
「あほの長糸、かしこの小糸って言いまっせ」と祖母は教えてくれた。
無精をして長くすると縺れるから、糸は短く。
家族は多かったし、靴下の繕いや足袋の繕い・・・いくらでも仕事が有ったのだ。
現代のように「破けた?捨ててネットで新しいのを買おう」。
という時代と違う。
素材を大事に使うということは勿論だけど、
戦時中は勿論、肌着も靴下も木綿の布も簡単に手に入らない年月を通って来たのである。