a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

燃料のない暮らし

戦争は日々の生活に必要な物資を全てなくしてしまう。
燃料が無くなっていた。
食事のために燃料を優先したら、お風呂が沸かせなくなっていた。水は井戸に充分あるのに。
勿論もともと都市ガスはまだ引いてないから、炭とか薪が唯一のエネルギー源。
ご飯はかまど(へっついさん)で薪で炊く。
お風呂に入るのが困難になればどうなる?不潔でシラミがわいた。学校に行っても全員シラミを頭と体に飼っていた。(>_<)
これはある日解決した。通学電車の最寄りの駅に降りた時、捕まえられて有無を言わさずDDTの粉を頭から背中から振りかけられた。全身真っ白になって泣きそうになって学校に着いたら、友達も全員真っ白だった。
この薬品は強烈でシラミ問題は劇的に解決した。
夏の間は中庭にたらいに水を張って、日向水で私と妹は行水をした。現代のような強烈な気温だったらすぐ熱くなるだろうけれど、井戸水はとても冷たいのであまり温かい行水では無かったように思う。
また兄妹で山歩きをして、松ぼっくりや木の枝をリュックに詰めて持ち帰った。芝刈りである。
水はあっても洗濯用の石鹸が不足していた。入浴用の石鹸もシャンプーも。
何やかや不潔なのに良く生き延びてきたと思う。
冬に向かって、たどんを作った思い出もある。炭の粉を丸めて干しておく。炬燵や七輪に使った。
電力事情も悪かったから、電気はエネルギーとして役に立たない。
停電に備えて、夕方、石油ランプの火屋(ランプの筒)を磨くのは子供の仕事だった。
明るい間にさっさと忙しなく夕飯をとったことも有る。

まだしつこくつづく