a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

ヨブ記(10)

昨夜からの雨で早朝の道は凍結していてスリップ事故が多発している様子。

クロネコの配達のお兄さんがそう言った。

「気をつけてね」と私は言う。

今日はどこにも出ず、家業の書類作りと歌の稽古。午後はいつものように映画鑑賞。

 

  *  *  *  *  *  *  *

 

ヨブ記(10)

婦人聖書の集いより

ヨブ記には新約聖書の中にしか見出されない恵みの特権が語られている。

その一つに、天上でとりなしてくださる大祭司の存在の発見がある。

 

聖書 ヨブ記16:19-22

 

1、ヨブの友にによるあざけり

 私の友は私をあざけります。

 ・・私の目は神に向かって涙を流します。20

かつてヨブは

 落胆している者には、その友から友情を。

 さもないと彼は全能者への恐れを捨てるだろう。6:14

と語っている。

落胆する時のせめてもの慰めは友人の優しい言葉と態度であるが、今やその友人が慰めどころかあざける側に回る。

これほど辛いことはないだろう。

真の友とは?

 友はどんなときにも愛するものだ。

 兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。 箴言17:17

 

2、天におけるとりなし手の存在を知る

その存在に関する3つの表現

 今でも、天には私の証人がおられます。19a

「私の証人」=裁判用語。被告の側に立って弁護する証人のこと。

 私を保証してくださった方は高い所におられます。19b

「保証してくださる方」=断罪判決から守ってくれる裁判官のこと。

  その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。

 人の子がその友のために。21

「とりなし手」=この「とりなし手」は新約聖書が語る大祭司なるキリストを暗示する。ヘブル7:24、25

※地上で理解者を得られなくとも、天の大祭司は見捨て給うことはない。

 

3、生きている間の解決願望

 数年もたてば、私は帰らぬ旅路につくからです。22

ヨブの肉体的、精神的、家庭的、経済的、信仰的苦難の大きさを思えば、彼が「帰らぬ旅路に着く」前に、何とかして解決の道を見出したいというのは切なる願いである。

ヨブ記の最終章を見ると、神がその願いに答えて大きな恵みを与えられたことを知る。

しかしここで考えなくてはならないことは、果たして生きている間の解決がヨブのように見られるのだろうか。

聖書は、二つの道を教えてくれる。

①この世で解決される恵み・・・ヨブの例

②來るべき世で解決される恵み・・・モーセは荒野で民を導いた功績者だが、約束の地カナンには入れなかった。

しかし、約束の地以上に栄光のキリストを死後に拝した。

 マタイ17:1-3