a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

ヨブ記(4)

暖かい ^ ^。

寝坊をしてしまったがゴミ収集車には間に合った。

クルミを連れて庭へ。

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落ち葉を掃く。もうそろそろ終わりだろう。

ガレージの壁の蔦を剥ぎ取る。

丸めて玄関のリースを作ろう。

毎年、誕生日が終わったら年末の仕事を始めることにしている。

 

    *  *  *  *  *  *  *

 

ヨブ記(4)婦人聖書の集いより

ヨブの3人の友達は「ヨブを慰めよう」とやってきた。

が、慰めにはならず、傷口に酢を注ぐような結果になってしまう。私たちも共を慰め励ます機会があるが、間違った励ましをしてしなう危険性がある。

エリファズの例から「間違った励まし」について学ぶ。

 

聖書 ヨブ記4:1-21

 

1、叱咤激励

エリファズは、かつてヨブが多くの試練にある人を励まし強かった自分を思い起こさせて、試練に負けるようではいけない。と奮起を促そうとしている。3-5

試練にある友人に「以前のあなたは多くの人を励ましたのに、自分の時もそうしなきゃダメでしょ!」と言ってしまう。

どこが間違いか?

前の強さが通用しないと悩んでいるのに「前のようになれ」は無力を感じさせるだけである。

 

2、因果応報の思想

正しい人に禍はない。

罪があるから禍がある。という思想。

これは叱咤激励以上に酷い思想である。

正しくない理由は、

・正しい人が正しいのに滅び、

 悪者が悪いのに長生きすることがある。伝道者の書7:15

・キリストの福音は不幸と思えることさえ罪の所為ではなく、却って神の恵み体験へと導かれることを教えている。ヨハネ9:1-3

 

3、自分の経験を語る

人が落ち込んでいる時、

「自分もかつてはこんなことがあった」と言って、いつの間にか話題の中心が相手より自分の経験に代わってしまう。

これはどこが間違って居るか?

今問題なのは自分の経験ではなく彼の悩み。

必要なのは、相手の心に寄り添い「共に喜び共に泣くことローマ12:15