a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

主の祈り(1)

健康診断を受ける。

背丈も縮んでいなかったし、体重も同じ。

血液検査の結果は来週に。

 

午後は何かしんどくて、庭の雑草を眺めながら漢字ナンクロパズルと昼寝。

しんどい日と元気な日が代わり番こにやってくる。

昔、機嫌がコロコロ変わる人を「あの人、お天気屋やね〜」と陰口を言ったものだけど、私は今お天気屋さんだ。

 

  *  *  *  *  *  *  *  *

 

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主の祈り(1)

 父よ。御名があがめられますように。

 御国が来ますように。

 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。

 私たちの罪をお許しください。

 私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。

 私たちを試みに会わせないでください。

聖書ルカ11:1-4

 

一節に、キリストが祈り終えられた時、弟子たちが「祈りを教えてください」と求めたと言われている。

 

1、成熟への渇望が祈りに導く

弟子たちはキリストには自分たちにない平静さや強さや愛が宿っていると感じていた。

自分たちは弱く、苛立つ事も多く、無力であった。

この「差」は、キリストの生き方が神の御子という理由だけではなく、祈りの生活にあると思った。

それで祈りを教えてください、と求めたのだった。

成熟への渇望が祈りへと導かれるのは聖書的プロセスである。

 

2、祈りは神との交わりである。

弟子たちもキリストに会うまでは会堂で指導者が祈っているのを知っている。

詩篇を使った美辞麗句な賛歌や、願いが中心の祈りだった。

キリストの祈りは宗教的な祈りの言葉ではなく日常的な言葉で、父なる神との芳しい交わりであった。

祈りが「願い」ではなく「神との交わり」だから「安らぎ」があり、弟子たちは今までと違った本当の祈りを学びたかったのである。

 

3、祈りは特権である

チンパンジーは祈るか、という研究がされたが、結果は「祈りをしない」だった。

これは、祈りは神が人間にだけ与えられた特権である、ということである。

祈りは弱い人がする行為だと聞く事があるが、それはこの特権を知らない人の話で、大いに活用すべきだ。

 

4、祈りは共に祈る事を通して学ぶものである。

弟子たちはキリストから祈りを学んだように、共に祈りながら学ぶものである。

初代教会の祈りの生活。

 この人たちは

 ペテロとヨハネヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、

 アルバヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダ 使徒の働き1:13

 婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、

 みな心を合わせ、祈りに専念していた。  使徒の働き1:14