a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

合唱の楽しさ

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教会の聖歌隊のメンバーで、アルトで長く歌っておられるMさんは素晴らしい声もさることながら、楽譜を丁寧に読み、確かな音程で歌われるので尊敬に値する。

先日、学生時代にコンクールで優勝する実力のある学校に在籍していたと聞いた。

納得した。

厳しく鍛えられた合唱は格別である。

各パートの声が一つに聞こえるように歌わなければならない。

 

私のように、目が悪くなって五線が定かに見えないと、ある程度分かったら後は勘で歌ってしまう。

きっちり歌う習慣が身についている人にはさぞ耳障りと思う。

Mさんごめんね・・・・。

 

私は(また出ました思い出話)小学校5年生の時に、戦後生まれた学生合唱コンクールの小学校の部に出るために、集められたメンバーに入った。

各クラスから10人ほど(女子だけ)が音楽の先生のオーディションを受けた。

オーデションの曲はその頃習った「わかば」。

♩爽やかな緑よ、明るい緑よ〜の歌を1番だけ一人づつ歌わされた。

その結果、5人が選抜され私もメンバーに入った。

4クラスあったから20名、あと4年生からも10名。

 

その日から、放課後まんまるい黒ぶちの眼鏡をかけた田中先生の特訓が始まった。

パート分けがあって、私はメゾソプラノになった。

コンクールでは何を歌ったか忘れたけれど、どこかの大学の講堂が会場だったように思う。

6年生の時はかなり合唱らしくなったようで、大阪で準優勝を勝ち取って、ご褒美にNHKのスタジオで生放送で歌った。

小学校では名誉なことだ、と全校生徒を運動場に集め、檀の上にラジオを置いて聞いたという。

どんな声で電波に流れたのか録音機も無いので分からない。おまけに写真も無い。

NHKでは交通費だと一人40円もらったこと。

母がそれを神棚に備えたこと。

だけを覚えている。

学校に帰ると私たち合唱メンバーは凱旋将軍のように迎えられ持て囃された。

 

田中先生の指導は厳しかった。

音程がずれていると、講堂の幕を引いて向こう側に立って、一人づつ歌わされる。

先生が「今の子、音程ずれている・・・」と指摘されるのである。

先生は幕の向こう側でも誰が歌っているのか、きっとご存知だったのだろう。

皆の前で恥ずかしい思いをしないよう配慮をされた。

 

厳しい訓練だったけど楽しかった。

ハーモニーを心地よく感じる頭脳を子供の時に与え教えて下さった田中先生のことは今でも忘れない。

以来70年をコーラスを趣味にして生きて来れたのだ。

つづく