a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

見た目が勝負

午前中は涼しいけれど曇っていた。

曇りの日は嫌い。

しんどくてやる気が起こらない。

午後は「よっこらしょ」という感じで集会所まで歩いていく。

坂道を10分。

「優しい体操」でやっと元気が出てくる。

続いて「うたの会」にも出席した。

ここに来ると近所の情報が入る。

竹藪になっていた裏の小高い丘がが裸に伐採されて、家が沢山建つらしい。

道を作ってバスも通るらしいよ・・・あんな丘陵に沢山の家を建てて売れるのやろか?

 

昨日のつづき。

小学校の5、6年生で私は合唱を歌うことの楽しさを知った。

 

同じクラスでメンバーになったのは、Tちゃん(家は薬局)Kちゃん(お父さんは開業医)Mさん(家業は昆布やさん。遊びに行ったらいつも酢こんぶのおやつをもらった)Mっちゃん(おうちは農家)、と私の5人。

 

この中でTちゃんは2年前に、Kちゃんは20年前に亡くなってしまった。

昆布やのMさんは京都へお嫁に行って「忙しいねん」と出てこない。

Mっちゃんは電話では元気にしゃべるが「久しぶりに会いたいし行くわ」と言っても当日ドタキャンする。

今もコーラスをしているのは私だけだ。

 

初めて先生に引率されて、コンクールの会場に行った時はびびった。

他の学校の子は制服を着ていて、洗練されていて上手に聞こえた。

私たちは多分それぞれよそ行きの服を着せてもらっていただろうけれど、見劣りがしているように思えた。

田舎もんやと萎縮したのかな?

 

次の年は6年生。

お揃いが良かろう、と白と黒の上下を着る決まりになったと思う。

物の無い頃、母は私のためにどんな服を用意してくれたのだろう。

白いセーターに黒っぽいスカートだったような気もする。

6年生の時は、歌も上達して自信もあったし、2度目だったから物怖じすることなく伸び伸びと歌ったのだろう。

準優勝をしたのだから。

 

こんな分けで小学校の5、6年生は楽しかった。

ところが、中学校は期待はずれだった。

つづく