a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

M子姉ちゃんの思い出語り

可愛い唐辛子

 

今日は蒸し暑くて疲れ気味でコーラスの練習を休む。

娘のボランティア介護送迎タクシーで、近所の友達3人を乗せて公民館まで行ったが、私はそのままUターンして帰って昼寝をした。

行事が重なると楽しいけどストレスにもなる。

ここで頑張る!ってわけには行かない。

 

昨日のM子姉ちゃんの思い出語りから。

太平洋戦争が始まって、郊外(田んぼの真ん中の数軒の住宅地)に家を建てて引っ越しをしたとき姉は小学校4年生だった。

大阪市内の小学校へ電車に乗って通うのは許可されなかったらしい。

地元の小学校に入り、いじめに遭った。(その話は昨日出なかった)

6年生で「よう出来る子(?)」4人がT女学校へ受験し合格した。

M子姉ちゃんは勉強が好きではなかったので、家庭教師をつけて、母がかなりの努力をした。

女学校3年生で終戦を迎える。

私はあんなに戦争中困難な目に遭ったのに、M子姉ちゃんは戦時中のことは全く覚えてなさそうだった。

嫌なことは忘れる特技を持っているのか。

戦争が終わって、音楽の先生が新しく赴任されて、M子姉ちゃんの音楽の才能を見出されてピアノの練習が始まった。

 

その頃、姉が卒業した小学校の前に大きなお屋敷があって、それも煙突がある洋風の煉瓦造りの素敵な家で、庭にはガラス張りの大きな温室があった。

誰が住んではるのやろ〜と姉妹たちは思っていたが、弁護士さんが住んでおられて、お嬢さんは大阪市内の女学校に通っておられるらしい。

ある日、家の前を通ると、中からピアノの音が聞こえて来て「何て素敵なのやろ〜私もあんな曲が弾ける様になりたい」と固い決心をしたのだという。

村には教会がなかったが、この弁護士さんは熱心なクリスチャンで、後に私たちは少なからず影響を受けることになった。

 

姉は特訓を受けて無事に音楽学校へ入った。

家には当時ピアノがなくて、ピアノを手に入れようと思っても焼けてしまってどこにも売ってなかった。

父は人伝に藏の中に入れてあって、戦災を免れたという古いピアノを譲ってもらったのだった。

M子姉ちゃんは音楽だけの人。

家事手伝いは一切しない。

水仕事をすると手が荒れてピアノが弾けなくなるから、台所は手伝わさないでください、と先生がおっしゃったのだとか・・・ほんま?

明けても暮れてもピアノを弾いていた。

それと音楽学校で今日習って来た、ということを妹たちの前で全部復習して実演してみせるのだ。

例えばオペラの練習風景を見た日は、バックコーラスから主人公の歌うアリアまで実演してくれる。

ずっと後に姉は発達障害を持っていてアスペルガーだと診断されたのだが、特別な才能を神様からもらっている。

見たこと聞いたこと、全て記憶出来るのだ。

M子姉ちゃんは天才だった。

でも家事能力ゼロで、子育ても駄目。

だから子供たちは苦労して大きくなった。

 

本は読まない。読むものは楽譜だけである。

 

幼い頃、座敷に座って聴いたM子姉ちゃんの歌うイタリアオペラを懐かしく思い出す。

昨日もピアノの前奏を聴いて突然イタリア語で歌い出したのだった。

M子姉ちゃんの人生は障害のために苦労も多かったけれど、今は幸せ。

自分を愛らしく歌の上手な女性だと信じて生きている。

本当に可愛い姉なのだ。