a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

オルガンの思い出

今日もオルガンを鳴らした。
時々ペダルを踏むのを忘れてサイレントになるので笑ってしまう。
オルガンの音は遠い昔の思い出へと私を誘う。
戦後すぐ(私が小学校4年生の頃)家にオルガンが来た。大阪市内の焼け残った知り合いの家から、父がじゃがいもと交換に貰って来たのだ。全ての物資が無くなった時代。人々は食料を求めて持ち物を手放ざるを得なかった。我が家は郊外に越して来ていて近所に農家が沢山有ったから何とか食料が手に入ったのであろう。
オルガンは音楽好きな姉妹を大いに喜ばせた。姉妹全部音楽好きときている。オルガンは取り合いだ。
しかもM子姉はその頃女学校でピアノを弾くのに目覚めて家でも独り占めで練習をした。
妹三人はその合間を縫って弾くのだった。
先ず弾いたのが『ねこふんじゃった』。すぐ上のH子姉が教えてくれた。
その頃、ピアノを稽古するのが流行り出した。終戦後の混乱が少し緩和されて来たのだろう。小学校の友達も数人学校の帰りにレッスンに通っていた。
私も習いたかったけれど許されなかった。母は私に日本舞踊を稽古させたかったのだ。
今から考えると父の方が音楽が好きだったのかと思う。父がオルガンで♬空に囀る鳥の声〜峰より落つる瀧の音〜『天然の美』と楽しそうに弾いていた姿を思い出す。
しばらくしてピアノも父が手に入れてくれた。
やがて、H子姉がピアノを習い始め、M子姉は音楽学校ピアノ科に入学した。
妹もレッスンを始めた。
我が家は四六時中ピアノやオルガンの音が鳴り響いていたのだった。
レッスンを受けなかったのは私だけ。何度も母に談判したけれど「あんたは手が小さいからあかん」で終わった。
悲しいけれどしょうがない。さすれば独学と行こう。耳で聞き覚えた音を頼りに1人でバイエル教則本を練習した。
今や私1人の為のどこにも売っていない美しいオルガンの持ち主になった。
昔弾いた『楽しき農夫』とか『思いで』とか少しずつまた練習をしようと思っている。