天使と戦うヤコブ 腿のつがいを打たれた。
(金剛バプテストキリスト教会 婦人聖書の集いより)
20年ぶりに故郷に帰ることになったヤコブだが、日増しに心が重くなってきた。
それは兄エサウとの和解が未解決のままだったから。
しかも情報によればエサウは400人も引き連れて来るらしい。
一戦交えるしかない覚悟である。
「どうするヤコブ」
聖書 創世記32:1-32
1、ヤコブの作戦
①最小限の損害
人と家畜を二つに分けた。先の分を打たれても半分は残るだろうという作戦である。7、8
②神に祈って助けを求める
神に祈った。11
真剣なのだがこの祈りには大切なことが欠けている。
自分を守るためだけに祈ったが、父と兄を騙して財産を奪い取ったことに触れていない。
つまり悔い改めができていない。
これでは祈っても不安が募るだけである。
③贈り物での宥め作戦
エサウへの贈り物を選び分ける。13
しかも三つに分けて、次から次と贈り物を見せて怒りを宥めようと計画した。18、19
今までの知恵と才覚を全て使っての作戦だが、それでも安心できない。
彼一人後に残って悶々とする、21
2、神による解決
①神はヤコブの心が整う時を待ってくださった。
神は20年前に財産を奪って逃げ出した時、彼に悔い改めを迫られても良かった。
しかし、そうはされず、
神は罪深いヤコブなのに、命と事業を支え、祝福しながら心が整うのを待って下さった。
②ヤコブの生き方を変えられた
神の御使がヤコブと相撲を取りヤコブのももの関節を打たれた。25
腿の関節=自我の象徴。
神と人を出し抜き人間的処世術を操る生き方が砕かれた。
「エサウの方が悪い。だからこうした」と人間的考えで終始し人を操る生き方をやめて神に降参したのだ。
その印がエサウに会うのに7回もお辞儀をし、自分が先頭に立つ姿に現れている。33:3、4
また、自分が変えられたら何とエサウまで変えられていた!33:4
主が人の行いを 喜ぶとき、
敵さえもその人と和らがせる。 箴言16:7