a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

ヤコブ物語(7)「20年の重荷から解放されるヤコブ」

ウジェーヌ・ドラクロワ作  1861年

天使と戦うヤコブ 腿のつがいを打たれた。

 

ヤコブ物語(7)「20年の重荷から解放されるヤコブ

 

(金剛バプテストキリスト教会 婦人聖書の集いより)

 

20年ぶりに故郷に帰ることになったヤコブだが、日増しに心が重くなってきた。

それは兄エサウとの和解が未解決のままだったから。

しかも情報によればエサウは400人も引き連れて来るらしい。

一戦交えるしかない覚悟である。

「どうするヤコブ

 

聖書 創世記32:1-32

 

1、ヤコブの作戦

①最小限の損害

人と家畜を二つに分けた。先の分を打たれても半分は残るだろうという作戦である。7、8

②神に祈って助けを求める

神に祈った。11

真剣なのだがこの祈りには大切なことが欠けている。

自分を守るためだけに祈ったが、父と兄を騙して財産を奪い取ったことに触れていない。

つまり悔い改めができていない。

これでは祈っても不安が募るだけである。

③贈り物での宥め作戦

エサウへの贈り物を選び分ける。13

しかも三つに分けて、次から次と贈り物を見せて怒りを宥めようと計画した。18、19

今までの知恵と才覚を全て使っての作戦だが、それでも安心できない。

彼一人後に残って悶々とする、21

 

2、神による解決

①神はヤコブの心が整う時を待ってくださった。

神は20年前に財産を奪って逃げ出した時、彼に悔い改めを迫られても良かった。

しかし、そうはされず、

神は罪深いヤコブなのに、命と事業を支え、祝福しながら心が整うのを待って下さった。

ヤコブの生き方を変えられた

神の御使がヤコブと相撲を取りヤコブのももの関節を打たれた。25

腿の関節=自我の象徴。

神と人を出し抜き人間的処世術を操る生き方が砕かれた。

エサウの方が悪い。だからこうした」と人間的考えで終始し人を操る生き方をやめて神に降参したのだ。

その印がエサウに会うのに7回もお辞儀をし、自分が先頭に立つ姿に現れている。33:3、4

また、自分が変えられたら何とエサウまで変えられていた!33:4

 主が人の行いを 喜ぶとき、

 敵さえもその人と和らがせる。 箴言16:7