a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

夫は14年前の今日なくなった

14年前の今日、私の夫は死んだ。

79歳だった。

心房細動による重度の脳梗塞で救急車で運ばれて7ヶ月頑張ったけれど、力尽きた。

おしゃべりの人が喋られなくなったのは悲しかった。

臨終は悲しかったけれど、わがままで辛抱をするのが嫌いな人だったから、苦しみから解放されて天国へ行ったのだと思ったらほっとしたのだった。

 

 

ここから夫の悪口

夫は幼い頃に母を亡くし、祖母と叔母に育てられた。

特に祖母は猫可愛がりして甘やかした。

だから、苦労知らずの楽天家で、嫌なこと面倒なことは避けて通る男で、嫌なことは私に押し付ける。

年は7歳も上だったのに、私は頼られっぱなしだった。

お財布も任せておいたらたちまち無くなるので、私が管理することにした。

困難が迫って来ると私を前に押し出し、小さい私の背中に隠れてやり過ごす。

良い時だけ顔をして出てくる。

 

生まれつき陽気で人懐っこい性格なので大抵の人に好かれた。

人の世話を焼いたり、同窓会の幹事を引き受けたり、俳句の同人たちには特に好かれて大切にしてもらっていた。

それから女性たちにモテた。

亡くなって葬儀の時に沢山の女性が泣いていた。

参列の人たちはどう思っただろう。

喪主の私は泣かなかったのに。

 

結婚して娘が産まれて、私は家に縛られていた。

夫はそれを見て「外へ遊びに行ったらええのに〜僕のお母ちゃんは毎日デパートや芝居見に出掛けてたで〜」という。

赤ちゃんは誰がお守りしてくれるの?

余り言うので一度娘を彼に預けて映画を見に行ったことがあった。

 

その時のことを娘は覚えている。

とても不安だったと。

 

子供が成長してから、私は夫に従って活発に外へ出るようにした。

混声合唱団に入ったり、同窓会のお世話をするようになったり。

夫も相変わらず外で遊んでいたが、私の方が帰りが遅くなっても文句は言わなかった。

家に友達(男性もいた)を連れ帰ると、仲良くなって自分の友達にするような男だったので、私は自由を勝ち取れた。

 

今朝は久しぶりに野球(WBC)を見た。

夫は野球観戦が好きで、良く一緒に甲子園へ行ったものだった。

 

お弁当を食べてビールを飲んで楽しんだ。

夫はベンチに向かって大きな声でやじる。

途中で阪神の負けが混んでくると「もう帰ろか?」とさっさと家に帰る。

帰ってテレビを見ると、逆転していたりして・・・。

辛抱強く粘り強く応援も出来ないのだった。

 

もう亡くなって14年の歳月が流れた。

嵩高い人だったから、居ないと家は広すぎる。

ずいぶん慣れたけれど、いつも誰かと大きな声で電話を掛けまくっていたから家は静かなのだ。

 

庭に植えた球根や宿根草が花開くと、亡くなった日からのあれこれを思い出す。

今頃になって涙が出たりするのである。