ヤコブ物語
久しぶりの旧約聖書の物語。
教会の婦人聖書の集いの中西牧師先生の資料をいつもMちゃんが取っておいてくれるので読むのだけれど、最近は目が悪くなって時間がかかる。
そんな私でもパソコンやスマホは明るくて読めるのである。
大きな文字に変えることもできるし。
同じ時間が掛かるのなら、パソコンに移してしまえば繰り返し読める。
・・・で今日から始まるヤコブさん。
読者の皆様も一緒に読んで知って下さい。
ヤコブの生涯は波乱万丈だった。
父は穏やかなイサクなのに、性格は人間臭くて野心家であり、競争心が強く、罪にまみれた人であった。
しかし聖書は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」(マタイ22:32)とイスラエルを代表する父祖の一人として数え上げている。
そこに神の憐れみと恵みを見ることが出来るのである。
聖書 創世記25:19~34
1、祈られて誕生
イサクとリベカ夫婦には20年間子供が授からなかったのでイサクは「主に祈った」(21)
その祈りが聞かれ、リベカは出産の日を迎えたが、胎内で「ぶつかり合う」双子であった。(22)
不安になってリベカは神に祈った。(22)
無事に産まれたが、この双子は体質も気質も全く違っていた。
先に生まれた息子エサウは毛深くて、弟ヤコブは何と兄の踵を掴んで産まれてきた。(25、26)
ヤコブとは「かかとを掴む」との意。
ヤコブは誕生の時から競争心が強かったのだ。
二人の誕生はまるで将来起こるであろう対立を予想するようなものだったが、祈っての結果である。
私たちも祈っての結果起こる事柄は不完全のように見えても、そこに何らかの神の意思があることを信じたい。
2、両親の課題
イサクとリベカ夫婦は仲良かったと思われるが、子育ての段階で問題が現れた。
エサウは体育会系の人で野原を駆け回って猟をするが、ヤコブは内向的で家の中で過ごす事が多かった。
それは良いとして、問題は両親の子供への対処の仕方であった。
この違いが子供同士の対立を生む萌芽となる。
3、後継の権利をめぐる駆け引き
猟からお腹を空かして帰ってきたエサウにヤコブは食欲を唆る煮物を提供するが、その代わり「長子の権利」を引き渡すよう求める。
「長子の権利」とは神聖な祝福の継承という霊的使命が含まれていたが、エサウはそれより空腹を満たす方を選んだ。
現性利欲に目を奪われ天国を受け継ぐことを軽んじてはならない。