「優しい体操」に行く。
月に2回しかないのに、この前は休んだので、久しぶりで体力の衰えを感じた。
歩くだけでなく、家でもストレッチをもっと頻繁にやらねば。
寒くなった。
銀行と郵便局と買い物。
全部用事を済ましてすっとする。
夜、来客。
お花をもらった^ ^。
遅くなった誕生日パーティーをした。
クリスマスの朝。
ちょっと疲れてぼーっとしていたが、月曜日であるのに気がつく。
丁寧に掃除をしたけれど、くたびれて午後はベッドで寝る。
固定資産税の納め忘れがあって督促状なんか来て、明日は銀行へ行かなくては(ー ー;)
わたしも耄碌したものだ。
友達が電話をかけてきて「近々会おう」という。
私は年内に用事が一杯ある。
そしたら年初めに・・・。
彼女は暇なんだそうで「何でそんなに暇やのん?」と聞いたら「雑用をしないことにした」。
彼女には過保護な独身の息子がいて、なんでも息子がやるようだ。
「雑用って?」
「友達に会ったり・・・」
それって私と会うのは雑用じゃないの?
今日の予定は年賀状作り・・・。
この年齢になると何となく面倒臭いのである。と言って印刷を頼むのは嫌で、自分のオリジナリティーを生涯保ちたい思いがある。
コーラスの年下の友人は、弟に印刷を頼むのだと言った。良いなあ優しい弟が居るって・・・。
H子姉は娘が来て全部やってくれるらしい。
M子姉は娘が遠隔操作で全部やって、自分では住所とコメントを書くだけ(枚数も少ないし)。
外はお天気で暖かそうだし、裏庭に鈴なりの柚子を収穫した。
半分収穫して(200個ぐらい)、くたびれて目がふわっとしてきた。
上向きの作業はダメなのを忘れていた。
そんなわけで午後は薬を飲んで寝る。
年賀状はまだやる気起こらず、明日に持ち越しである。
美容院へ行く。
薬が効いたのか、耳石はおとなしく元に戻って(?)目眩は治った。
午後、公民館へ歩いていく。
今年最後の練習だった。
お互いに「良いお年を・・・」「風邪ひかないように・・・」「おもち喉に詰まらせないで・・・」と挨拶してあってから帰る。
* * * * * * *
ヨブ記(6)
婦人聖書の集いより
苦難の中でしか味わえ無い真理の発見も恵み。
聖書 ヨブ記14:7-9
木には望みがある。
たとい切られても、また芽を出し、
その若枝は絶えることがない。14:7
1、自然界から学べる慰め
・キリスト教に抵抗する人も、このような自然界から学ぶ知恵には心開くものである。
キリストは「空の鳥、野の花」の自然界から教えておられる。
・クリスチャンでも強い試練に神のことばに心開けない時があるが、このような自然界からの間接的な語りかけには心に優しく響く。
神は聖書を通して直接的に語り、自然界を通して間接的に語られる。
2、「切られる」ことは人生の終わりではない
・「失うこと」や「切られること」は人生で辛く「もうこれで終わりではないか」と思ってしまうが、そうではない。
切られても、また芽をだす。
・切られなくても芽は出るが、それは大した芽にならない。
切られてこそ良い芽がでる。ヨハネ15:2
3、人生は何度もやり直せる
その若枝は絶えることがない。7
たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、
水分に出会うと芽を吹き、苗木のように枝を出す。8、9
正しい者は七たび倒れても、
また起き上るからだ。
悪者はつまずいて滅びる。 箴言24:16
天に召されるまでチャンスは与えられている。