a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

雑用って?

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クリスマスの朝。

ちょっと疲れてぼーっとしていたが、月曜日であるのに気がつく。

丁寧に掃除をしたけれど、くたびれて午後はベッドで寝る。

固定資産税の納め忘れがあって督促状なんか来て、明日は銀行へ行かなくては(ー ー;)

わたしも耄碌したものだ。

 

友達が電話をかけてきて「近々会おう」という。

私は年内に用事が一杯ある。

そしたら年初めに・・・。

彼女は暇なんだそうで「何でそんなに暇やのん?」と聞いたら「雑用をしないことにした」。

彼女には過保護な独身の息子がいて、なんでも息子がやるようだ。

「雑用って?」

「友達に会ったり・・・」

それって私と会うのは雑用じゃないの?

クリスマス燭火音楽礼拝

暖かいクリスマスイブ。

礼拝でヘンデルメサイヤから「ハレルヤ」を賛美した。

うちの教会の聖歌隊は男声が素晴らしい。

隣で大きな声で正確なテノールが聞こえるのはアルトを歌う身にとってはありがたい。

 

家に帰って昼食後薬を飲んで昼寝をした。

4時に再び教会に行ってリハーサル。

5時半から「クリスマス燭火音楽礼拝」。

コーラスの友達3人聞きに来てくれた^ ^。

 

聖しこの夜を歌いながら蝋燭に点火する。

小さな蝋燭の灯りは希望の光なのである。

 

目が回ることなく無事に音楽礼拝は終わった。

帰りは雨になる。

 

 

柚子の収穫

今日の予定は年賀状作り・・・。

この年齢になると何となく面倒臭いのである。と言って印刷を頼むのは嫌で、自分のオリジナリティーを生涯保ちたい思いがある。

コーラスの年下の友人は、弟に印刷を頼むのだと言った。良いなあ優しい弟が居るって・・・。

H子姉は娘が来て全部やってくれるらしい。

M子姉は娘が遠隔操作で全部やって、自分では住所とコメントを書くだけ(枚数も少ないし)。

 

外はお天気で暖かそうだし、裏庭に鈴なりの柚子を収穫した。

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半分収穫して(200個ぐらい)、くたびれて目がふわっとしてきた。

上向きの作業はダメなのを忘れていた。

そんなわけで午後は薬を飲んで寝る。

年賀状はまだやる気起こらず、明日に持ち越しである。

 

 

ヨブ記(6)

美容院へ行く。

薬が効いたのか、耳石はおとなしく元に戻って(?)目眩は治った。

午後、公民館へ歩いていく。

今年最後の練習だった。

お互いに「良いお年を・・・」「風邪ひかないように・・・」「おもち喉に詰まらせないで・・・」と挨拶してあってから帰る。

 

     *  *  *  *  *  *  *

 

ヨブ記(6)

婦人聖書の集いより

苦難の中でしか味わえ無い真理の発見も恵み。

聖書 ヨブ記14:7-9

 木には望みがある。

 たとい切られても、また芽を出し、

 その若枝は絶えることがない。14:7

 

1、自然界から学べる慰め

キリスト教に抵抗する人も、このような自然界から学ぶ知恵には心開くものである。

キリストは「空の鳥、野の花」の自然界から教えておられる。

・クリスチャンでも強い試練に神のことばに心開けない時があるが、このような自然界からの間接的な語りかけには心に優しく響く。

神は聖書を通して直接的に語り、自然界を通して間接的に語られる。

 

2、「切られる」ことは人生の終わりではない

・「失うこと」や「切られること」は人生で辛く「もうこれで終わりではないか」と思ってしまうが、そうではない。

 切られても、また芽をだす。

・切られなくても芽は出るが、それは大した芽にならない。

 切られてこそ良い芽がでる。ヨハネ15:2

 

3、人生は何度もやり直せる

 その若枝は絶えることがない。

 たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、

 水分に出会うと芽を吹き、苗木のように枝を出す。8、9

 

 正しい者は七たび倒れても、

 また起き上るからだ。

 悪者はつまずいて滅びる。 箴言24:16

天に召されるまでチャンスは与えられている。