a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

少し目眩が・・・

今朝もアラームの音で目覚める。

本町のビルの1室でお仕事の日だ。

今日は1年に1度の総会があった。毎年来ているのに地下鉄の上がる場所を間違えて歩く。

少し歩いて「おかしい・・・?」。

幸い太陽が照っていて、方向音痴の私でも西東がわかった。

「やっぱり・・・」と御堂筋を反対側へ渡ってやりなおし。100メートルほど損をした。

会議が終わってからいつものお店で会食をする。

若い男性5人と私。

皆私の倍ぐらいの量を倍ぐらいの速さで食べるのでせからしい。

食事は同年輩と少しお酒を飲んでゆっくり食べるのが良い。

お酒は飲まないけど太っている子が多い。

お酒を飲まない分早食いなので太るのがわかった。

 

細かい数字を見過ぎたのと真剣に考えたので目が回ってきた。

デパートで買い物をする予定だったけれど止めて帰宅。

目眩の薬を飲んで夕方まで寝た。

朝早く起きると・・・

目覚ましをかけて寝た。

今朝はコーラスの練習場の来月の予約当番の日。

公民館に9時に行って申し込む必要がある。他に申込者がある場合は早い者勝ち(?)

一年に一度ぐらい回ってくる責任あるお当番なのである。

無事に予約できてやれやれ。

 

帰宅後猫と日向ぼっこ。

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写真の冬用ソファーカバーのパッチワークキルトの殆どは3〜40年昔に着ていた洋服の残り裂。

ツイードの布地、ヘリングボーン、タータンチェック等の布地だけで作っている。

赤い無地のはドットが浮かんでいるキュートな布地。

これは娘のワンピースで、襟が付いていて光沢のある布でパイピングをした。

当時着ていた服は全部私が縫っていた。

ワンピースやジャケットやスカート、娘のコートやジャンパースカートなどもある。

どの布地もデザインまで覚えている。

 

そういえば、当時の夫のカジュアルスタイルといえば、ツイードのジャケットにフラノのズボン(パンツとは言わなかった)を着ていた。

仕事はスーツで家に帰ると和服に着替えていたな〜

 

午後は早起きのせいで珍しく昼寝。

朝は自然に目が覚めるのが一番良い。アラームで起きると調子が狂う。

 

 

ヨブ記(5)

掃除と洗濯をする。

午後は年賀状作りを始める。最近年賀状の「お終い」宣言をする友人が増えてきた。

いつも会っている友人には当然もうお終いにする。

でも、長く会ってない従兄弟や友人などには元気で暮らしている・・・と知らせないと。

また知らせてもらいたい。

 

最近は天に召されてもすぐ知らせない遺族が増えているように思う。

質素な家族葬でも良いけれど(知らせると後々お供えやお悔やみやらで面倒なんだろう)、

少し寂しい。

 

   *  *  *  *  *  *

 

ヨブ記(5)

ヨブ自身の苦悩の言葉から、試練のうちにある者の嘆きを知り、それを通して病人へのケアーのあり方を学ぶ。

 

聖書 ヨブ記6:8-30

 

1、希望を持てない不安とそのケアー 11

病人は病や試練がいつまで続いて、どんな結末になるのか不安を持っている。

こんな時、すぐにみ言葉を語り「結論」を伝えようとするのは良くない。

み言葉は剣エペソ6-17 とある。

 

大切なのは「長いと辛いですね」と感情を受容することである。

不思議なことに病人は気持ちを受け入れられたと思うと、自分で良い結論を出すことがある。

 

2、見捨てられたように感じる不安とそのケアー

試練の時には神と人から見捨てられたように感じることが不安である。

 落胆している者には、その友から友情を。

 さもないと、彼は全能者への恐れを捨てるだろう。14

友情=変わらぬ愛

試練にある者の感情は「見捨てられた感」が強い。

大切なことは変わらぬ愛。

優しさが痛みを和らげる。

 牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、

 また、苦しめられている人々を思いやりなさい。 ヘブル13:3

 

3、自分に過ちはないという考えを聞くときのケア

 私がどんなあやまちをおかしたか、私に悟らせよ。24

「病気になったのは私の何が悪かったのですか?」因果応報の気持ちが働きやすいときである。

この質問に沈黙は同意と誤解される恐れがある。

 ヨハネ9:1-3のみ言葉を念頭に置きながら

「それは違いますよ。却って恵を経験する機会と聖書にありますね。信じていきましょう」と

自分の言葉で答えたいものである。

 

4、お見舞いの意味

病人を見舞う者は何とか励ましを与えたいと願うがキリスト教の教えでは、

お見舞いで励ましを与えることができなくても良い。

なぜならお見舞い自体に意味があるから。

 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、

 わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、

 わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。 マタイ25:36

クリスマスリース

今朝も寒い。

昨日作っておいた玄関ドア用のクリスマスリースを吊った。

椅子に登るのも怖いし、手が届か無い。

こんな状況の時には便利な愛用のマジックハンドが役に立つ。

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礼拝が終わってから皆で昼食をいただく。

女子会は楽しかった。

2時から来週の音楽礼拝のリハーサルがあった。

3時半終了。

上を向いてリースを吊ったので帰ったら少しめまい。

写真で確認したらリボンがくちゃくちゃだし、少し歪んでいるけどまっ良いか。

来年はうまく歌おう「ホワイト・クリスマス」

寒いけれど、今年最後の練習日だったので出かけた。

先生は何を思ってか難しい混声四部合唱の「ホワイト・クリスマス」の楽譜を先週持ってこられた。

2回で歌える技量は我らにはない。

来年12月に続きをやりますから・・・って、それまで覚えているか?というより先ず生きているか?

練習後、四ツ橋のいつものお店で忘年会のような食事会をする。

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昨年いただいたポインセチア

今年もクリスマスに合わせて赤く染まった。

 

ヨブ記(4)

暖かい ^ ^。

寝坊をしてしまったがゴミ収集車には間に合った。

クルミを連れて庭へ。

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落ち葉を掃く。もうそろそろ終わりだろう。

ガレージの壁の蔦を剥ぎ取る。

丸めて玄関のリースを作ろう。

毎年、誕生日が終わったら年末の仕事を始めることにしている。

 

    *  *  *  *  *  *  *

 

ヨブ記(4)婦人聖書の集いより

ヨブの3人の友達は「ヨブを慰めよう」とやってきた。

が、慰めにはならず、傷口に酢を注ぐような結果になってしまう。私たちも共を慰め励ます機会があるが、間違った励ましをしてしなう危険性がある。

エリファズの例から「間違った励まし」について学ぶ。

 

聖書 ヨブ記4:1-21

 

1、叱咤激励

エリファズは、かつてヨブが多くの試練にある人を励まし強かった自分を思い起こさせて、試練に負けるようではいけない。と奮起を促そうとしている。3-5

試練にある友人に「以前のあなたは多くの人を励ましたのに、自分の時もそうしなきゃダメでしょ!」と言ってしまう。

どこが間違いか?

前の強さが通用しないと悩んでいるのに「前のようになれ」は無力を感じさせるだけである。

 

2、因果応報の思想

正しい人に禍はない。

罪があるから禍がある。という思想。

これは叱咤激励以上に酷い思想である。

正しくない理由は、

・正しい人が正しいのに滅び、

 悪者が悪いのに長生きすることがある。伝道者の書7:15

・キリストの福音は不幸と思えることさえ罪の所為ではなく、却って神の恵み体験へと導かれることを教えている。ヨハネ9:1-3

 

3、自分の経験を語る

人が落ち込んでいる時、

「自分もかつてはこんなことがあった」と言って、いつの間にか話題の中心が相手より自分の経験に代わってしまう。

これはどこが間違って居るか?

今問題なのは自分の経験ではなく彼の悩み。

必要なのは、相手の心に寄り添い「共に喜び共に泣くことローマ12:15

おめでとうコール

今日うんじゅう1才になった。

 

ばたばたしていて誕生日を忘れていた。

朝、H子姉ちゃんから、昨日の私のブログを読んで、C子姉ちゃんのお見舞いに行ったことを知ってのお礼の電話だったが、しばらくおしゃべりしたけどH子姉ちゃんも知らなかったし・・・。

娘に「おめでとう」と言われて思い出した。今日が私の誕生日だったことを。

 

コーラスに行こうと準備をしていたら電話がかかった。

6才年上のM子姉ちゃんからで「お誕生日おめでとう」と言ってくれた。

彼女は天才的に人の誕生日を頭に刻みつけられる。

その日が来ると姉妹たちに誕生日カードを送ったり電話をしたりする。

 

「あなたにはいろいろ教えてもらったりお世話になっている」というので、

「M子姉ちゃんには子供の頃に影響を受けて感謝しているわ」といった。

姉は家では絶えず歌ってピアノを弾いていたので(家のお手伝いはせず)私の幼い耳に入って来て沢山の歌を覚えたのだった。

「貴女のことは小さい時から知ってるもの・・・」

なんという麗しい姉妹の会話。

今日は木曜日で姉はデイサービスの無い日なんだ。暇なのだろう。

私はコーラスに行くので喋ってられない。

「お祝い電話ありがとう」とそこそこに電話を切った。

M子姉ちゃんは87才。

元気で思う存分歌ってピアノを弾いて暮らして欲しい。

 

昨日今日と2日で、姉妹の4人全員と会うか電話で喋った・・・ふ・し・ぎ。