a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

お父さんは子煩悩

今日も各地で豪雨が続く。

洪水のニュースばかりで気分が塞ぐ。

これで何日雨が降り続いているだろう。

 

  *  *  *  *  *  *  *  *

 

お父さんは子煩悩

普段は仕事に熱心で、家でくつろいでいる姿は余り見なかったけれど、お正月休みには一緒に遊んでくれた。

必ずやったのがトランプの「7並べ」。

主にゲームに参加したのはH子姉と私と妹の3人。

父はどんなに手持ちの札が悪くても最後に勝つた。

私はすぐ破産するし、札が良くても意地悪されて、いつの間にか父にしてやられるのだ。

幼いながら、運が悪くても頭を使って考えれば勝てる道が有るのだなあと父から学んだ。

百人一首

これは父はいつも読み手だった。

姉妹は目を血走らせて競い合って札を取った。

兄や長姉も参加したりして源平合戦が出来るのも家族が多かったからで、6人もの多くの子供を分け隔てなく平等に愛してくれたお父さんはやっぱりえらい。

お正月は朝から年始客の相手をし、客が全部引き上げたその後で子供達と一緒に遊んでくれたのだった。

 

もっと幼い頃は、寝る前によくお話をしてくれた。

「おむすびころりん」。

おむすびころりんのお話なのだけれど、独特のお話の展開で面白くてよくせがんで繰り返ししてもらった。

おむすびころりんすっとんとん・・で穴を転がり落ちると、そこではネズミ達が楽しそうに歌ってお餅つきをしているのだ。

♩ 貂(てん)や鼬(いたち)や 猫さへおらねば、わしが世じゃもの すっととん すっととん ♩

独特の節回しで語ってくれる。

懐かしい懐かしいお父さんのおとぎ話。

大雨災害

大雨災害続く。

朝、6時半にアラームで叩き起こされた。

ハザードマップで危険区域として知っている場所の住民への避難勧告だった。

夜中大雨が降ったらしい。

電車も不通。

 

友達の安否確認をした。

茨木市に住む友達は近くに川があって増水しているようすである。

地震の後始末がようやく終わって又こんな不安な思いは嫌やわ」と言った。

いざとなったら2階に上がると決めている。

 

日本中どこにいても自然災害から逃れられない。

うちの猫は2回もアラームが鳴って不安になったのか、自らキャリーバックに入って寝ていた。

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スペインの曲

大雨が降り続く。

日本中、北海道から沖縄九州まですごい量の雨が降り続いている。

近畿では京都や大阪の北の方にすごい雨。川の増水。

被害が無いことを祈る。

 

雨は小降りだったけれど公民館へ娘に送ってもらった。

今日から「あなたに」という曲の練習に入った。

サラサーテの「アンダルシアのロマンス」を南安雄が編曲したもので、詩は海野洋司。

久しぶりにスペインものだ。

アルトが主旋律を歌うところが多いので私は気に入っている。

9月の合唱祭に歌う。

 

今日は父シリーズ休み。

 

 

 

 

甘やかされた私

台風が日本海を進んでいる。

雨はあまり降らなかったけれど、私の周りはどよよ~んと低気圧が漂っている。

朝から頑張って美容院に行ってきた。

午後は起きていられなくて、風の音を聞きながらベッドで寝てしまった。

 

私のお父さん(1)

私は父に叱られたことが一度もない。

50年以上関わっていた長い父娘の関係だったけれど。

良くドラマなんかに出てくるような大きな怒鳴り声を頭から浴びせられたことは勿論、ねちねちと小言を言われたこともない。

反抗できないような無言の圧力みたいなものは有ったにせよ、父はいつも私の味方で優しかった。

 

卓袱台を囲んでの朝食時。

私は小学生。

父は朝ごはんを食べながら私の顔をじっと見て、手を握って「お母さん、K子さん(私)熱が有るのとちがうか?」と母に問う。

母が来ておでこを私のおでこにくっつけて「ちょっと熱があるみたいやな・・・」

父は「学校を休ませなさい!」と厳然という。

私は「やった~」

 

皆が出かけた静かな座敷にまた布団を敷いて貰って私は寝る。

私は弱くて良く病気をしたのだった。

医者が往診に来て薬を飲んで大人しく寝ている。

まあ大抵は次の日は治っているけれど、私は父に「今日もしんどい」と訴える。

父は「今日も学校休ませなさい」と母にいう。

私は布団に寝て読書^ ^。

 

妹が幼稚園か学校から帰ってくると二人で遊ぶ。

きゃっきゃっとふざけていたら、お医者様の往診だ。

慌てて布団に潜り込む。いつものパターン。

父が甘やかしたから学校の欠席が多く大成しなかったのかも分からない。

この年になっても、しんどくて出かけたくない時、お父さんやったら休みなさいと言ってくれるやろな・・・と思ってサボる節がある。

 

「本を買って欲しい」とねだると必ず聞いてくれた。

その代わり、日曜日に電車に乗って父のお供をしなくてはならない。

父は散髪屋さんに行くのだった。

家の近くにも散髪屋さんがあったのに、父なりにこだわりがあったようだ。

もう今は無くなっているけれど「あべのハルカス(昔は近鉄百貨店が建っていた)」のすぐ南にあった散髪屋さん。

私は椅子に座ってじっと終わるのを待っていた。

散髪屋のおじさんは丁寧に丁寧に父の髪を撫で付ける。

父は割に早くから髪が少なくなって切るほどの量はないと子供の目にも思えたけど、散髪屋の小父さんは整髪料をつけて撫でつけているのだ。

長~い時間だった。

でも私は足をぶらんぶらんさせながら待つのだった。

終わったら隣のユーゴ書店に行って本を買ってもらえるから。

つづく。

 

私のお父さん

台風が接近しているようで蒸し暑い。

午後昼寝から冷めてコーヒーを入れていたらNさんが来た。

あ、今日は火曜日。

コーヒーを飲みながらおしゃべり。

毎回同じような話題だけれど、どちらも喋るに良い相手なので滑舌の衰えを防ぐにはもってこいの友人なのである。

「気つけて帰って〜」と送り出したら蚊に刺された。

 

最近ある方に、ご実家は「**さん」ですねんてな~と言われた。

何でも彼は大阪市で事業をやっていて、その関係から「**」をご存知だったので、この度M子姉ちゃんが洗礼を受ける際に私の旧姓も分かった(姉は旧姓に戻っているから)みたい。

彼も詳しくはご存知ないらしくて、ただ創業が古い会社で扱っている商品がご自分の事業と繋がっているのだという。

 

彼も母方の事業(祖父さんの代から)を継いでいるとのこと。

何故分かったのかもう一つ良く分からないが、大阪に住んでいる限り良くも悪くもどこかで素性が知られてしまうのはしょうがない。

 

「**」というのは30年前に亡くなった私の父が若くして立ち上げた卸商の屋号で今は社名となっている。

太平洋戦争を挟んで、事業を拡大して販路を広げた。

正直で真面目で頑張り屋だった男、それが私のお父さんなのだ。

 

むし暑くて何もしたくないこの夏。

庭は伸び伸びと生える雑草を眺めるだけだし、出かけようとしたらタクシー代も要る。

涼しい部屋で音楽を小さめに聞きながら、大好きだった父のことを思い出して見ようと思う。

私のブログは単なる日々の記録の日記なのだけれど、初期からの読者というのが何人もいて、それは私の親族である姉や甥や姪たち。

姪の一人、兄の娘であるMちゃんの希望もあるし、ブログが書ける間に、生きている間に「私のお父さん」なる人との思い出を綴ろうと思う。

 

私の親族でない読者の方には退屈でしょうからどうぞ読み飛ばしてください。

 

主の祈り(6)

寝坊してしまった。

8時間も熟睡した。

台風の所為で蒸し暑くいやいや掃除をしていたらお昼になる。

午後はエアコンで涼しくして雑用を片付ける。

うちの猫はエアコンが嫌い。

涼しい風が届かないクローゼットに寝ている。

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主の祈り(6)

 

聖書 マタイ6:11

 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください

 

第4番目の祈りは生活の必要なことを祈られる。

 

1、神は私たちの体、健康、生活、経済について深く配慮してくださる。

だから神のご配慮を信頼する信仰が必要である。

 二つのことをあなたにお願いします。

 私が死なないうちに、それをかなえてください。

 不真実と偽りとを私から遠ざけてください。

 貧しさも富も私に与えず、

 ただ、私に定められた分の食物で

 私を養ってください。

 私が食べ飽きて、あなたを否み、

 「主とはだれだ」と言わないために。

 また、私が貧しくて、盗みをし、

 私の神の御名を汚すことのないために。 箴言30:7-9

  

 愛するものよ。

 あなたが、たましいに幸いを得ているように全ての点でも幸いを得、

 また健康であるように祈ります。  ヨハネの手紙 第3 2

 

だから食事において神の恵みを感謝する食前の祈りは当然である。

 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから座っている人々に分けてやられた。  ヨハネ6:11

 

2、生活に関する明日の思い煩いは不要である。

きょうも」が強調されている。

明日の分も、明後日の分もよろしく、ではない。

クリスチャンの生き方は、将来の「計画」はしても「思い煩い」は捨てなくてはならない。

 だから、あすのための心配は無用です。

 あすのことはあすが心配します。

 労苦はその日その日に、十分あります。 マタイ6:34

※キリストが十字架の上で最後の祈りは「父よ、わが霊を御手にゆだねます」ルカ23:46

この祈りは敬虔なユダヤ人が1日の最後に眠る時の祈りであった。

 私の霊を御手にゆだねます。

 真実の神、主よ。

 あなたは私を贖い出してくださいました。 詩篇31:5

キリストは全生涯を終える時一日を終える時と同じ祈りをされたのである。

 

3、聖書という霊の糧に生きることを教える。

「日ごとの糧」は肉体の糧と共に、霊の糧である「神の御言葉を与えてください」という祈りをも意味している。

  人はパンだけで生きるのではなく、

  神の口から出る一つ一つのことばによる。 マタイ4:4

召されるまでの信仰人生を

 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。詩篇119:105

に生きたい。

主の祈り(5)

今日から7月。

今日もタクシーに来てもらって教会へ。

こんな暑い日に歩いたら熱中症になる。

帰りは同じ町内に住んでおられるNさん夫妻の車で帰った。

 

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主の祈り(5)

聖書 マタイ6:10

  みこころが天で行われるように地でも行われますように

 

主の祈りの3番目のこの祈りから分かることは、

 

1、神は物言わぬ偶像の神ではなく正しい人格と意思を持つ方

神は天で私たちの祈りを聞いてくださる。

だから信頼して祈ることができる。

 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。

 わたしはあなたを助け出そう。

 あなたはわたしをあがめよう。  詩篇50:15

神の完全なご意志であると知れば、祈ることは神に訴えるだけではなく、神のご意志を聞く姿勢が大切である。

 我が神。私はみこころを行うことを喜びとします。

 あなたのおしえは私の心のうちにあります。  詩篇40:8

 

2、天の世界は永眠の世界ではなく、神の御心が完全に行われている世界である

未信者の方の使う喪中葉書に「永眠しました」と表現されるが、天国は何もしない静寂の世界ではない。神のご意志が働いている世界である。

 

地上での不可解が解明される世界。

 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、

 その時には顔と顔を合わせて見ることになります。

 今、わたしは一部分しか知りませんが、

 その時には、私が完全に知られているのと同じように、

 私も完全に知ることになります。 第1コリント13:12

 

地上での不完全が完成される世界。

 主は私にかかわるすべてのことを、

 成し遂げてくださいます。

 主よ。

 あなたの恵みはとこしえにあります。

 あなたの御手のわざを捨てないでください。 詩篇138:8

 

死ななければ結べない「実」がある。

 一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、

 それは一つのままです、

 しかし、もし死ねば豊かな実を結びます。  ヨハネ12:24