a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

はまるドラマ

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今日は一日中雨で暖かい。

花粉症は少しマシ。

 

ヒヤシンスが芳香を放っている。

雨の日は特に香る。

写真を撮ろうと近づいたらくしゃみが・・・。花粉アレルギーを忘れていた。

 

毎日家にばっかり居て、このままこれが続いたら認知症になるかも知れないわ。

 

最近見ている韓国ドラマ「愛の不時着」

北朝鮮に不時着した韓国財閥のお嬢様が北朝鮮の兵士に助けられる。

分かりやすくて面白くてやはり韓国ドラマは面白い。

次はどうなる?と思わず次も見てしまう・・・はまるよ〜

 

アブラハムの生涯(7)ー「わたしは全能の神である。」

晴れて暖かい。

花粉症がひどくて、その上眠い。

朝から掃除をして途中で休憩したら居眠りしそうになった。

春の日差しが明るくて家の中の汚れが目立つ。

隅々までゴシゴシと掃除をする。

暇だし、やる気のスイッチが入ったら家中ピカピカになるのである。

 

  *  *  *  *  *  *  *

 

アブラハムの生涯(7)ー「わたしは全能の神である。」

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アブラハムは99才になった。日本で言えば白寿である。

白寿になったアブラハムに語られた神のことばは何か。

 

聖書 創世記17:1-8、15-9

 

1、13年間神が沈黙された意味

99才の時に神が語られたとある。17:1

その前に語られたのは86才の時。

 わたしは彼女を祝福しよう。

 確かに、彼女によって、

 あなたにひとりの男の子を与えよう。 16:16

この13年の神の沈黙は何を意味するのだろうか。

 

答えはアブラハムの言葉でわかる。17:17

 

即ち100歳と90歳の夫婦には子供を産む力は無くなっている。

(現代に換算するとサラは60歳)

神は敢えて二人が人間的には子供を産めない年になるまで待っておられたということになる。

なぜ二人はここまで待たされたのか?

 

2、わたしは全能の神である

神は何故敢えて年老いた二人に全能を知らされるのか。

それはアブラハムが「信仰の父」として、後に生きる人間の希望の星となるべき人物だから。

アブラハムを知って「不可能を可能になさる神がおられる。有限の世界も無限への可能性があるのだ」という希望を伝えるためである。

 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。

 それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、

 彼があらゆる国の人々の父となるためでした。 ローマ4:18

 

3、「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」17:1

この意味は、神に対して真っ直ぐに立て、との意味。

何かの条件をつけてとか、ひがんで斜めに構えてではなく、創造者である神とあなたとの間が1対1の関係で、真っ直ぐに立て、との意味。

 弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。 ヘブル12:12

国際女性デー

今日は国際女性デー(IWD)。

日本のジェンダーギャップは何と世界で121位なのだそうだ。

かなり恥ずかしい数字だ。

賢くてリーダーシップが取れる女性は数多くいたけれど、上に立って能力を発揮した人は少ない。

中学校の友達で学年で1番の才媛だったRちゃんは、大学にも行かなかった。

最近になって「何で行けへんかった?」と聞いたら「弟を大学に行かすために私は我慢をした」のだという。

結婚して専業主婦で子供を育てていた・・・実に勿体ない。

 

今日から「大相撲春場所」。

観客席は誰も居ず。

がらんとした空間とシンとした静けさが不気味だ。

客席の暗い照明も。

それでも真剣な眼差しで土俵入りをしている力士たちに私はテレビ桟敷で「がんばれー」と応援した。

 

見渡すとこの大相撲も男社会の典型だった。

女性は一人も見つからない。

いつもなら着飾った女性が沢山目に入って、楽しそうに応援をしている姿があったが、今日は太った男ばかり・・・(^^;;

痛い膝や腰を庇いながら戦っている力士たちの姿を、女性はこたつ付きのテレビ桟敷で気楽に観戦してたらよろしい。

 

いつもは見られなかった弓取り式。

華麗な技に今日は見惚れた。

炎鵬は観客の声援が無かったら力が半減するみたいで負けてしまった・・・(^^;;

金柑の木の剪定

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クリスマスローズと金魚草。

ピッチャーに入れて下から鑑賞する。

 

朝から金柑の木の剪定をする。

小鳥用に上の方を少し残しておく。

私は力のないくせに植木の散髪が好きなのだ。

もし男に生まれていたら、植木屋さんしてたかも。

 

と言っても、今80をいくつも過ぎたというのに、大きな鋏を振り回して、ちょっとした台に乗って(5年ぐらい前は脚立に乗っていた)ばさばさ枝を切るのは爽快なのだけど、怪我をしないように注意する必要があるのが情けない。

5年ぐらい前に亡くなられた裏のSさんが「危ないでっせ、気をつけなはれや〜」とハラハラして見てたのを思い出す。

 

「ぽつんと一軒家」という番組がある。

高齢で山家暮らしの方の暮らしぶりを見せてくれるが、元気なのに驚く。

力も強い。

自分の力で生きていく気力が漲っている・・・昔の人間は全てそうだった。

勇気付けられる。

 

トイレットペーパーが無い?

マスクが無い?

それがどうした!

って言いたい。(←佐藤愛子さん風)

今ある物を始末して使って、また工夫するという事を忘れている、というより知らないのだろう。

また、買い占めて金儲けしようというのも情けない。

 

さて、金柑は大きくて良いのだけ選んだ(2キロ)。

午後、ジャムにしようと洗ったものの、くたびれたので今日はやめ。

又肩こりから頭痛になったら嫌だから明日にしよう。

賛美歌をうたう

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運動不足なので、せめてスーパーに買い物を、と出かけた。

私は怠け者だから、目的がないと歩けないのである。

「歩く会」とかに参加して歩くのは嫌い。

お昼頃、にわか雨とみぞれ降る。

 

午後、本来なら公民館でコーラスの練習がある筈なのに・・・(ー ー;)

Aさんが来た。

ご主人の消息はまだ不明で、彼女は又少し痩せた。

一緒に賛美歌を5曲歌う。

久しぶりに歌っておしゃべりもいっぱいした。

 

玄関先の沈丁花を一枝切ってお土産にあげる。

アブラハムの生涯(6)ー「神の時を待てない夫婦」

朝から小雨。

やる気起こらず・・・朝からパソコンの前に座っている。

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   *  *  *  *  *  *

 

 

アブラハムの生涯(6)ー「神の時を待てない夫婦」

 

聖書には、神はそれぞれの人生に計画をもっておられ、「神の時」に従って計画は進む。

人間はその時を待てず早まった行動に出てしまう。

アブラハムもサラもその失敗をしてしまう。

 

聖書 創世記16:1-16

 

1、家族騒動

 アブラムの妻サライは、彼に子供を産まなかった。

 彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。

 サライはアブラムに言った。

 「ご存知のように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。

 どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。

 たぶん彼女によって、わたしは子どもの母になれるでしょう。」

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当時の慣習では道徳的に問題はなかったが、神の御旨ではなかった。

前章で、

 主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。

 「そのものがあなたの跡を継いではならない。

 ただ、あなた自身から生まれ出て来るものが、

 あなたの跡を継がなければならない。」15:4

この意味を夫婦の子でなくても良い?と思うのは軽率で、夫婦の間に生まれる子である筈であろう。

このサラの提案の根には不信仰がある。

信じてはいるが神を待てない。

神の愛の御旨を信じきれずに早まった行動をした。

これが根本原因である。

 

2、サラの提案を受け入れた後の苦い結果

・提案が仇になって、自分がみごもったのを知って、女主人を見下げるハガル。

・夫婦の争いー夫へのきつい言葉。

  「私に対すこの横柄さはあなたのせいです。

  主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」

・夫か関わろうとせず。

 アブラムはサライに言った。

 あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。

 彼女をあなたの好きなようにしなさい。」6a

・いじめ→聖書最初のいじめ。

   それで、サライが彼女をいじめたので、  6b

・ハガルの逃亡。 母子ともに死の危機に。

 彼女はサライのもとから逃げ去った。

神を畏れ敬う家庭とは思えない家庭騒動。

神の時を待てないと、人は焦り、人間的思いが先行する時、異なった火種が生じるのを覚えておかねばならない。

 

3、神による解決

このような罪と不信仰はアブラハムとサラの身から出た錆であるが、

神は解決の介入をしてくださる。

 

逃亡して危機的状況にあるハガルに声をかけ、

その苦しみを聞き入れた上で「主人の元に帰り身を低くしなさい」

御心を示した上で「子孫を大いなる民族にする」という恵みを与えられた。10

 

 天の下では、何事にも定まった時期があり、

 すべての営みには時がある。  伝道者の書3:1