a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

終戦記念日

60年目の終戦記念日
幼い頃に戻ってみたいと思うけど、あの戦争中だけはごめんだ。
私は栄養不足で痩せこけていて、近所の母の友達の医者にビタミンの注射をしてもらっていた。
家に帰ると家族が集ってラジオを聞いていた。私も一緒に聞いたが、良く分らなかった。
もう空襲警報に怯えることも無く、灯火管制もしなくて良いと家族は皆ホッとしているように思えた。
翌日登校すると、担任のH田先生が目を赤くして泣きながら「くやしいね。皆の努力が足らなかったのよ」とおっしゃっていた。
でもこの日から、あんなに嫌いで登校拒否をしていた恐ろしかった学校が好きな場所になったのだ。
小学校3年生でも軍事教練を受けていたのだから。
職員室に入るのにも入り口で大きな声で「3年中隊H田隊***子H田先生に用事があって参りました!」と言わなければ入れない。小さい声だと「小さくて聞こえん!」と他の先生が怒鳴るのだ。
運動場で3年生以上の全校生徒を集めての手旗の練習も、教練の先生がむちゃくちゃ恐かった。
恐ろしくて学校に通えなくなったのだ。
嫌な思い出だ。
今日は中学校の友達のお葬式だった。
彼はずっと、建材を扱っての商売をしていて、3月に発病して入院、悪性中皮種と分ったが5ヶ月の闘病であっけなく逝ってしまった。
楽しい人で、気配りがあり、彼がいると場がなごんだ。
悲しい別れの儀式だった。