a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

震災 隠された被害

朝刊に戦前に起きた地震の写真が載っていた。報道管制の下、被害の実態は庶民には伝えられなかった。戦局が悪化の一途をたどっていた1944年暮れから相次いで起きた地震の記録が少なく、『幻の地震』といわれた、とある。
そう言えば、子供の頃良く地震が有ったのを思い出した。
44年12月の東南海地震は、午後だった。私は小学校2年生、H姉ちゃんと何故かお風呂に入っていた。当時は燃料も乏しく毎日はお風呂を沸かすことは不可能で、この日もぬるめのお湯で入っていたのだと思う。
「ぐらっ」と激しく揺れたので裸のままお風呂から跳んで出て、そのまま中庭へ素足で走って出た。寒さは感じなかった。
幸いそう激しくなく揺れは治まったのだが、母にえらく叱られた。
「裸のまま外へ出たらあきません!危ないでしょうが。」私はお行儀が悪いと叱られるかと思っていたが、後で地震の時裸は危険なのだと理解したのだった。
45年1月には三河地震。真夜中激しい揺れで目が覚めた。T姉ちゃんが玄関の戸を開けて炬燵を抱えていた。炬燵にはタドンが入っている。姉の判断は正しい。
この頃、よく遊んでいた友達は歯医者さんの子Sちゃん。何でも自慢する子で「うっとこの家は吊り天井やから地震が来ても潰れへんってお母ちゃんが言ってた。」と自慢した。
私はうらやましい家やな、と思いつつも天から吊ってある訳じゃなし、柱が倒れたら天井も落ちるのじゃないかな、と心の中で冷静に批判をしていたのだった。
今は報道が自由だし、早い。「地震かな?」と感じたらすぐテレビをつけたら間もなく各地の震度が出て来て震源地やマグニチュードやら教えてくれるが、だからといって地震の恐ろしさが無くなる訳でも無い。
日本列島に住んでいる限りしょうがないけれど、出来るだけ被害が少ない事を祈るのみだ。