a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

厳しい子供の頃の冬

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久しぶりに良いお天気になった。

暖かくて、ズンバを踊ったら汗をかいた。

 

子供の頃の冬は本当に寒かった。

雪は余り降らなかったけれど、寒波がやって来たときの寒さは凄かった。

暖房器具は何も無し

大きな火鉢がデンと座っているだけ。

真っ赤に焼けた炭か炭団(たどん)が一日中入っていて、時々手を翳して温めるだけだった。

お薬缶にお湯が滾ってシュッシュと湯気を吹いているだけ。

お風呂は燃料が無いから偶にしか沸かせなかったし。

 

そんな冷たい日でもうちの母は厳しい人で、服は肌着まで全部脱いで寝巻きに着替えないと駄目だった。

寒い部屋で歯をガチガチ言わせながら着替えたものだ。

偶にズルをして肌着の上から寝巻きを着て、見つかって大いに叱られた。

 

寝巻きに着替えて潜るお布団もまた冷たい・・・。

私は湿疹が出来るので毛布は使えなかったし。

足元に炭団の入った炬燵が入っていて、向かいに敷いた布団もその炬燵を使っていた。

2、3人の足が一つの炬燵を使っていた。

 

食料は不足していて、私は痩せて霜焼けが出来ていた。

それでも学校では通学に手袋は贅沢品だから禁止されていた。

母は強い。

「うちの子は手が霜焼けで崩れていますから、特別に許可してください」と先生にねじ込んでくれた。

だから私は毛糸の手編みのミトンで手を包んで登校出来たのだった。

 

戦後は家族が多くて(引き上げてきた遠縁の人、焼け出された親戚の伯母さんなど)部屋も満員だったから、私は妹と同じ布団で寝た。

一人より二人の方が暖かい。

猫のミーコを入れたらもっと温い。

 

今は寒くてガタガタ震えることもなくなった。

1月の末というのに、汗をかいて熱いなどと言って罰当たりが、と思ってしまう。

スイッチ一つですぐ暖かくなる炬燵に足を突っ込んで、どこにも行けず嫌やな〜なんて言ったら、子供のときの私に申し訳ないと思ってしまう。

 

今は、出来たらなるべく電気やガスを無駄遣いせず、今の世の幸せを感謝して暮らそうと思っている。