a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

夕暮れ時に光が有る

日曜礼拝では70才以上の人の『とりなしの祈り』が有った。
うちの教会は会員数が130人で70才以上は13人。最高齢は91才。私は10人目の高齢者である。不思議なのは1936年生まれが4人も居ること。
如何に若い人が多いか良く解る。皆に祝福を受け美しいカレンダーのプレゼントももらった。

今日のメッセージは「夕暮れ時に光がある」。
年を取るという事は先行きの不安が数えきれない程ある。
先にあるのは死という人生の夕暮れ、太陽が沈んで闇になる。自分の存在がこの世で無くなってしまう。懸命に築いたものも、蓄えたものも、全て手放して行かねばならない。不安で孤独なのである。
でも神さまは最後の時が来れば、私達を背負って運び出して下さる。
イザヤ書46;3〜4
 胎内にいる時からになわれており、
 生まれる前から運ばれた者よ。
 あなた方が年をとっても、
 わたしは同じようにする。
 あなたがしらがになっても
 わたしは背負う。
 なお、わたしは運ぼう。
 わたしは背負って、救い出そう。

猿の仔のように必死で母猿のお腹にしがみつくのでは無く、猫の仔のように母猫に首をくわえられて、抵抗もせず安心して母猫に全てを委ねているように、神さまに全てを委ねていけるのが、何よりの幸せなのである。
キリスト教信者は猫型である。」何と解りやすく面白い比喩だと感心した。