a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「耐えられない試練はない」

第1コリント10:13
このみ言葉は、2年前、夫が病に倒れて落ち込んでいるとき牧師先生に教わった箇所である。
試練に会ったときに読みなさいと教えられた。
神さまは耐えられない試練には会わせられない。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えて下さる、とある。

沖縄出身のテノール歌手新垣勉さんのお話を聞いた。
新垣勉さんは、赤ちゃんの時にお産婆さんのミスで盲目になった。
メキシコ系米兵の父は母と別れて米国に去り、祖母に養われて不幸せな子供時代を過ごした。
祖母も亡くなって天涯孤独となった新垣少年は、絶望して自殺まで考えた。
そんなある日、ラジオから流れる賛美歌を聞いて感動し、教会に行くようになり牧師に導かれて神学校に行って副牧師になった。
ある日、有名なヴォイストレーナーに、日本人離れしたラテン的な声を見出されて音楽の道に進んだ。父のラテン系の血が流れていたのである。
それまでの父への憎しみが消えて感謝の気持に変わって行った。
試練はやがて訪れるであろう祝福への伏線なのだ。


今日は伝道集会で、新らしい方も礼拝に参加されている。
牧師先生は、イエスと漁師のペテロの出会いの場面を話して下さった。
私の好きな場面である。
イエスは、一晩掛かって漁をしたのに1匹も魚が捕れず腐りながら網を修理しているペテロに「沖に出て網を打て」とおっしゃった。
ペテロが「何をしろうとのくせに・・・」と渋々網を打ったが、何と大量の魚が掛かる場面。
この後、ペテロはイエスの弟子となる。
先生の演技は増々冴えて、落語の様なリアルな演技で、今日も惹き付けられて笑いながら聞いた。
何度聞いても素晴らしい場面なのである。