a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「不遇の時にも神の恵み」

日曜礼拝を欠席したので、金剛バブテストキリスト教会のサイトから中西先生のメッセージを聞いた。
創世記29:15〜30
ヤコブは殺意を抱いている兄から逃げて、1000キロ離れた母の兄ラバンの家に身を寄せた。
そこで、21年もの永きに渡って不遇の生活を送ったのであった。
ここから教えられる大切なことは、
1、人は蒔いたものは刈り取ることになる。
ラバンは欲深い男で、ヤコブに働かせ、その代わり報酬をやると良い、ヤコブは恋心を抱いたラバンの下の娘ラケルを貰い受けるために7年間働いた。
期間が満了し、いよいよ婚礼の祝宴を開いたが、その夜、ヤコブのもとに来たのは姉娘レアであった。
朝になって騙されたことに気づいたが、ラバンは「この地域では、長女より先に妹を嫁がせることはしない」といった。下の娘もやるから、あと7年間働けといった。
ヤコブは兄を欺いて父を騙して、祝福を奪い取った結果が、伯父から騙されることになった。だから文句は言えない。
苦い経験は人生には大切である。策略家、野心家であったヤコブ。頭を打って始めて解ったのであった。
2、時間の経過の有り難さを知る。
7年を3回働いて、ようやく父の元に帰って父と兄と和解したのであった。苦労した20年は謝る気持を整える期間であった。
神の配慮と云える。
不遇にあるとき「何故、神は・・」と意味を探ることはない。それは神の大きな計画のうちに有るのだから、日々の営みを坦々と過ごすことが大切である。
3、神は不遇の時にも幸せを与えられる。
好きになったラバンの娘ラケルと結婚出来た。
12人もの子宝を与えられた。
イスラエルの12部族を作った12人の子供を与えられたのである。
4番目のユダからは、先になってイエスキリストが生まれることになる。
不遇の時に辛いことを数え上げてはならない。
惨めになるのを止める。
悲しみばかりではなく、周りを見れば、楽しさ喜び幸せもある。
恵みもたくさん有る筈である。
ずっと創世記を読み続けているが、創世記というのはモーセに寄る福音書といえる。
旧約聖書に出て来る神は恐いイメージがあるが、厳しさとともに、優しさ、慈愛、恵みの神とである。
常に見えるものでなく、見えないものを心に停めよう。