a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

戦後の洋服事情

朝のドラマ「カーネーション」では、闇市で見つけた水玉模様の布地で作ったワンピースが人気である。
私はあの頃何を着せてもらっていたのか思い出せない。
ただ、クラスに同じ花柄のワンピースを着た子が沢山いた。
多分配給だったと思う。
多くは着た切り雀だったし、粗悪なプリントだっただろうから、たちまち赤いお花の模様はピンクになり、ピンクも白に近づいて来た。
配給は抽選だった。全員が貰える訳では無い。
運動靴も配給。一番ぼろぼろの靴の子が優先されていたように記憶する。
この頃の写真は数少ない。しかも夏服の写真は数枚しかない。
満州から引き上げて、しばらく家に滞在していた遠縁の姉弟が一緒に写っているから、戦後直ぐの写真だと思う。

私(右端)が着ているのはブルーの横縞、白い部分はベストじゃなくて、多分布地が足らなかったのじゃないかな。

この写真は昭和23年初夏。C子姉に赤ちゃんが生まれた。
妹も私もC子姉も、チェックのワンピースである。色は不明。
多分沢山どこかで手に入ったのだろう。
カチューシャをしているH子姉は残念ながら何を来ているか解らない。
M子姉は白のスカートでおしゃれ。この頃音楽学校を目指して必死にピアノを弾いていた。
後で恰好付けてる兄は、同志社大学へ通っていたころである。
話は横にそれたけれど、これらの服は誰が仕立てていたのか。
チェックを上手く使ってデザインしてある。
長谷さんという仕立て屋さんに頼んでいた記憶が有るけれど、この頃から既に長谷さんだったのかな。
母は和裁は得意だったけれど洋裁はしなかったし、C子姉は洋裁が得意じゃないし。
誰か覚えていたら教えて。