a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「赦す力」

日曜礼拝メッセージより
マタイ18:21〜35
いつまでも絶対に赦せない!という人は居る。でもそれは心も体も蝕まれる。赦すことで解放の歓びを味わえるのだ。
ペテロが、主に、兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか、7度まででしょうか、と尋ねた。21節
イエスは7度を70倍するまで、と言われた。22節
7は完全数。7の70倍は490。何度でも赦すべきだとおっしゃったのである。
赦すとは、無かったことにする、帳消しにする、白紙に戻すということ。
1つの例えとして、23節以降。
天の御国は、地上の王に例えて、この王はしもべたち(人間)と清算をしたいと思った。
あるしもべは主人に1万タラントの借りがあった。
1タラントは6000デナリ。1デナリはおおよそ一日の賃金なので1万円とすると、1万タラントは6000億円という大金である。
主人は可哀想に思って赦し借金を免除してやった。26〜27節
ところがしもべは彼から100デナリの借金をした自分の仲間を赦さず、返せと迫った。28節
そんな大きな額の借金を帳消しにして貰ったのに、しもべ(人間)は罪の意識が不足している。

さて、悪口と盗みとどちらが悪いだろうか。悪口を言われていじめに遭って自ら死を選ぶ子ども。刑法に触れなくてもそれ以上の罪である。言葉一つで殺してしまう大きな罪である。
被害者意識の強い人間は、言われた悪口は覚えていても、自分が吐いた悪口は気が付かない。
哀れんで免除して下さったことを忘れてはならない。
十字架に架かって赦してもらったことを常にわすれてはならない。
 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
 しかし、人を許さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお許しになりません。マタイ6:14〜15
赦すことで神の祝福を体験出来る。赦さないのは人生の祝福が遠ざかる。