a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「その愛、無駄と言われた時」

日曜礼拝メッセージより
ヨハネ12:1〜8
過ぎ越しの祭りの6日前、イエスがベタニアに来られた。
イエスが死から甦らせたラザロもいた。
マリアはナルドの香油をイエスの足に塗り髪の毛で拭った。
ところが、弟子の1人でイエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダがこの行為を非難した。
香油を売って(300デナリ=300万円程)貧しい人に施せと云う。しかしユダは預かっていた金を着服していたのである。
マリアの愛の心構えから言えることは、
1、誰が評価をするか。
ユダの言い分はもっともらしいが、偽善的。彼はそれを着服したお金の穴埋めに使おうという打算があった。
例え不充分な愛の業であっても、神が評価して下さる。
愛の業を神はお忘れにならない。ヘブル6:10
2、動機は何か。
マリアの行いは尊い。
十字架の救いへの感謝が動機である。
3、原動力はどこから来るか。
マリアの洞察力。これは日頃からイエスのお話を聞く、というおもてなしをしていたマリアである。
み言葉を通して生まれた。
ナルドの香油は花嫁道具として大切にして居たもの。
それをこの時しか無いと感じて、間もなく十字架に架かられるイエスへの感謝のために使った。
イエスが何を願っておられるか知っていた。
それがマリアの生き方、姿勢であった。
私たちは日頃聖書を読むが、聖書を聞く人になれと教えている。