a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「枯骨の谷」婦人聖書の集いより

エゼキエル37:1〜14
バビロン捕囚のとき。主はエゼキエルに不思議な幻を見せられた。
主に連れられて行った谷間には多くの干涸びた骨があった。
1、干涸びた骨は何を意味するか。11節
これらの骨はイスラエルの全家を表している。
前にエレミヤが希望を予言していたのに、余りに悲惨な日常に、人々の望みは消え失せていた。
まるで死の世界のような民の心の状態を表している。
 期待が長びくと心は病む。
 望みがかなうことは、いのちの木である。箴言13:12
2、神の見る所と人の見る所は異なる。
エゼキエルが見たもの。2節
神が見たもの。10節
2つの世界が有ることを知る。
現実に支配されてはいけない。
 見えるものは一時的であり、
 見えないものはいつまでも続くからです。第2コリント4:18
3、未来に希望を持つことの大切さ。3節
主が「これらの骨は生き返ることが出来ようか」と問われたが、エゼキエルは逃げている。
何故なら人間は未来に希望を持てないのである。


患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性は希望を生み出す。
クリスチャンはどんなことが有っても失望に終わらない。
何故なら神の愛が私たちの心に注がれているから。ローマ5:1〜5