a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

礼拝メッセージ(後藤献四郎先生による)

「キリストの少年時代」
ルカ2:41〜52
今日は父の日。
聖書から学ぶ父と子のこと。
1、イエスは神を父と呼ばれた。
過越の祭りに、12才のイエスが両親に連れられて親族等と集団でエルサレムに行った。
ナザレからエルサレムまでは100キロ、歩いて3日かかる。
帰路、両親はイエスが居ないのに気が付いて引き返し探した。
ようやく宮にいるイエスを見つけたが、両親に謝らず、
「私は神の御子」と宣言された。49節
両親には「私の子」という意識があった。50節 

私たちには、共通の一人の父がおられる。神は一人子を十字架に掛ける程私たちを愛してくださる。ヨハネの手紙1 
 しかし、この方を受け入れた人々、
 すなわち、その名を信じた人々には、
 神の子どもとされる特権をお与えになった。ヨハネ1:12

2、両親に仕えられた。
イエスは親孝行な子供であった。
聖書の主人公であるイエスのことは、30才になるまでの記述はここだけである。
この後の18年は何も記述が無い。
ヨセフは大工であった。弟は4人妹たちも居た。マルコ6:3
33才で十字架に掛かられたとき、ヨセフは既に死んでいて、ヨセフの死後大工として一家を支えて居られたのではないかと考えられる。
神の子イエスでさえ両親に仕えられた。ましてや人間は両親に仕えなければならない。
あなたの父と母を敬え、そうしたら、あなたは幸せになり、地上で長生きする。という神の約束。エペソ6:1〜3
長生きとは、祝福、恵みである。

3、マリアのこころ。
マリアはイエスのことばの意味がわからなかった。50節
これらのことを心に留めておいた。51節
マリアはイエスの誕生のとき、羊飼いたちにみ使いたちが告げられたことを、全て心に納めて思いを巡らせた。2:19
マリアの素晴らしいところである。
難しいことに出会ったとき、マリアのように心に納めて深く考えること。信仰によって受け止める。