a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「イエスは聖人か神か」

日曜礼拝メッセージより
ヨハネ福音書1:1〜5
いよいよ今日からヨハネ福音書に入る。
ヨハネは冒頭に根本的なことを記述した。

イエスとは誰か。
1、存在した神である。
 初めに、ことばがあった。
 ことばは神とともにあった。
 ことばは神であった。1節
 この方は、初めに神とともにおられた。2節
初めに・・の語句は創世記にも、初めに、神が天と地を創造した。とある。
ことばは・・ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。14節
恵とまことはイエスキリストによって実現した。17節
イエスは、マリアの体を通してお生まれになった神である。単なる聖人ではなく神である。
人間は知識が絶対だから、有り得ないことは信じようとしない。
あり得ないことが有るのである。
例えば、広い原っぱで寝転んで人が浮かんでいる雲を見ていたとする。
ズームをずっとずーっと引いて行くと、ついに宇宙に浮かんでいる地球が見える。そうなれば浮かんでいるのは雲ではなく寝転んでいる人なのである。
ユダヤ人達は、先祖アブラハムに会ったことがあると言ったイエスを石打にしようとした(冒涜の罪として)。ヨハネ8:57〜59
2、全てのものを造られた方。
 すべてのものは、このかたによって造られた。
 造られたもので、この方によらずできたものは一つもない。3節
創世記1:26に、さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、・・・とあるが、われわれとは神とイエス、父と子のことで、全てを共同で造られたのである。
神が造られたものは、良いものも悪いものもある。
苦難の意味はここにある。神の御業が現れるのであって、病気も神からのプレゼントと思うと良い。
問題はあっても間違いは無いのだ。
3、闇を照らす光である。
 この方にいのちがあった。
 このいのちは人の光であった。4節
 光はやみの中に輝いている。
 やみはこれに打ち勝たなかった。5節

イエスキリストは人類のやみを照らし希望を与えるお方なのである。
ヨハネ福音書は、個人とキリストの関係が多く語られた箇所である。来週が楽しみ。