a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「天国はあるのか」

日曜礼拝メッセージより
ヨハネ3:1〜5
天国は有るのだろうか。死んだら全てが無くなってしまうのか。
今まで経験した人は誰も居ない。
一回限りの人生である。確かに歩むために天国のことを知る必要がある。
夜、イエスの元にやってきた、パリサイ人ニコデモに語られることを通して、天国を確信出来る3つの理由。
1、この世の矛盾。
悪いやつが栄えたりする理不尽なこの世である。これを正す世界が有って欲しい。
聖書には全てが終ったとき、裁きがあって死後の世界が有る。と書かれている。
2、聖書は繰り返し語る。
 イエスは答えて言われた。
 「まことに、まことに、あなたに告げます。
 人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」3節
 ・・・・・
 人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることはできません。」5節
イエスははっきりと主張されている。
次は最後の晩餐の時に弟子たちに語られたことば。 ヨハネ14章
 あなたがたは心を騒がしてはなりません。 
 神を信じ、またわたしを信じなさい。1節
 ・・・・・
 あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。2節
3、キリストの復活。
金曜日に十字架に架かられたイエスは、日曜日の朝、死を蹴破って甦られた。
弟子たちは世界中に福音を伝えた。沢山の殉教もあった。
2000年前から、日曜日は仕事を止めてまで礼拝をするようになった意味がここにある。

さて、天国へは誰が行けるのか。全ての人が行ける訳では無い。
条件は、罪の許しが要ること。
クリスチャンでなくても正しく立派な人は居る。
しかし、何が正しいかの基準は時として変わる。いいかげんな価値判断ではだめである。
5節の、水と御霊によって生まれる。の水は洗礼のこと。
御霊とは、
 精霊によるのでなければ、誰も、「イエスは主です。」と言うことはできません。1コリント12:3
即ち、私は神の御前で罪人であると認めることである。

さて、この後ニコデモはどうなったか。
十字架から降ろされたイエスのところに、没薬とアロエを混ぜ合わせたものを持って来た。
イエスを墓に葬る手伝いをした。19:38〜42
死を迎える最後の時までに、信仰の告白をすれば、生まれ変わって神の国に入ることが出来る。