姫路城遠足 1947年(昭和22年)。
小学校5年生秋の遠足。
担任の先生4人の他教育実習の先生も写っている。
女の子はおかっぱ。男の子はくりくり坊主。
小学校4年生になって学童が急に増えて4クラスになり、5年生では男女共学になった。校区内に戦災孤児収容施設が出来たり、戦災で家が焼けて引っ越してきた人もいたので児童数が増えたのだった。
姫路までは国鉄蒸気機関車に乗って行った。お弁当は何を持って行ったのだろう。
記憶には無いけれど写真で見る限り全員幸せそうだ。
姫路の街は空襲で焼けてしまったが、お城は残った。
昨日一緒に行ったKさんは姫路の街が焼けている所を疎開先の岡山への途中で見たという。
「怖かったよ〜トラウマになっている」と言った。
70年経って街並みは蘇った。
戦災に遭わなかったら武家屋敷や古い街並みが残っていただろうに・・・残念なことである。
昨日遠足に行ったのは高校の同期生の比較的元気な8人。
男女4人づつ。
春のハイキングは毎年観光シーズンが終わる今頃行ってきた。
40年ぐらい続いている同期生の行事で、最盛期はバスを借り切っての1泊旅行を行って30人以上の参加者があったのだけれど、年々少なくなって来た。
人数が少ないのは動きやすく気楽な面もある。
今は迷子になっても携帯で探し出せるし。
というわけで、今年は美しく改装された姫路城を見に行った。
天守閣は6層になっていて、階段は1段が高くて踏み込みが浅い。手すりを固く握り締めて上る。
バリヤフリーはなく、のぼり下りは自分の力だけが頼り。
リーダーのI君は4階でギブアップした。
戦災で焼けずに修理を重ねて大切に保存してきた木造のお城。
単に美しいだけではなく、日本人への忘れてはならない大切な思いが込められていると感じる。
天守に登ってくたびれた8人は予約しておいたお店「すしいち」で昼食をとった。
そら豆(茹で加減塩加減もよろし)蛸のぬた(良いお味)でビールを飲んで乾杯。誰も怪我をせず倒れたりせず見学出来たことを感謝。
穴子の白焼き、付け焼、平目のさしみ、骨の唐揚げ、後は握り寿司と上まき。赤だし。
新鮮な魚を美味しく料理してもらって食べて、機嫌よく喋って笑って、これは高齢者の特権かなあ。
時間はまだ有ったけれどお腹が一杯になって眠くなってきたので午後の予定はやめて「もう帰ろう・・・」
駅までぶらぶら歩いて駅のティールームで休憩。
ここで又1時間しゃべる。
6時大阪駅到着。
家に着いたら雨が降り出した。