今からもう24年前になる。
1996年夏、カンボジアに旅行をした。
私には幼い時から夢があって、絵本で見たり、中学校の美術の時間にペン画の手本に選んだ写真だったりしたもので、憧れの建造物を死ぬまでに実際に行ってみたい、というものであった。
その建造物は、
3、インドのタージマハール。
いずれも子供の頃に見た異国の不思議な美しい建物であった。
インドのタージマハールは夢が叶わなかったがもう良い。なぜならインドは暑いし・・・その他いろいろな理由。
ノイシュバンシュタイン城は夫と一緒ににドイツ旅行の時に見学して、充分満足した。
さて、友達のご主人がタイでのお仕事の関係で繋がりがあって、カンボジアへ行くツアーが行われた。
まだ、回復途上にあり治安も悪いから、タイの後押しが必要だった。
思い切って参加した。
夢が実現したのであった。
タイからブノンペンへ入る。
タイ大使館に表敬訪問をした。大使ご夫妻と一緒に記念撮影している。
ブノンペンはごった返していた。
交差点には信号がなく、泥の道を三輪トラックや幌のついた三輪タクシーが多くの人を乗せてハチャメチャに走っていた。
裸の子供達が雨の中を走り回っていた。
カンボジアの内戦によるおぞましい殺戮のあった記念館を見学した。
かなりショック。
これほどとは・・・。
移動してシェムリアップのホテルに泊まった。
翌朝から3日間かけて広いアンコールワットを見学した。
暑いさなかで、昼食にホテルに帰ってシャワーを浴びてTシャツを着替えて再び午後の見学に行く。
歩く道筋にはまだ地雷が埋まっているので、決して脇道に入らないように硬く注意された。
長く続いた内戦で巨大な美しい石の建造物はかなり破壊されて、大きな樹木が根を張って建物に覆いかぶさっていた。
到着すると汚い子供達がわらわらと集まってくる。
その子供は暗い建物の中を手をつないで案内してくれる。
石段は手を引っ張って登ってくれる。
立ち止まって説明を聞いていると、そよそよ風が来る。
ふと見ると扇いでくれている女の子。
彼らは飴を上げてもいつまでも付いてくる。
「ありがとう」と言って1ドル渡すと、受け取るや否やすっ飛んで去って行った。
可愛い男の子や女の子、彼らは今どうしているだろう。
社会人としてちゃんと生きていてくれたら良いと願うが・・・。
思い出は尽きないが、急に旅のことを思い出させたのは、映画「キリングフィールド」を観たから。
この映画は1984年のアメリカ、イギリス映画だけれど、カンボジアの内戦の凄まじさを丁寧に描いている。
1975年、アメリカ人の記者シドニーと通訳のカンボジア人プランは混乱の中で取材をしていた。
以前は豊かな食料を輸出していた平和な国だったのに、革命に続くポル・ポト政権の残酷な殺戮が始まった。
「キリングフィールド」というのは大量処刑を行った場所の名前である。
300万人が殺されたそうである。
知識人が多く殺された。
プランは何度もアメリカ人たちを危機から救った。
しかし、最後にヘリコプターでタイに逃げる時にパスポートを偽造したが、ばれてしまってやむなく残された。
実際にあった話で、このプランを演じた人はアカデミー助演男優賞を受けている。
かなりショッキングな映画で引き込まれて観た。
感動の映画である。
親から無理に離された子供達が訳も分からず言いなりになって、殺戮に加担した。
兵士は全員若者である。
洗脳されて酷い戦に狩り出されたのだった。
今は普通に観光旅行としてアンコールワットに行ける。
でも恐ろしいことが一人の指導者によって行われた歴史の事実を忘れないでほしいと思う。