家中に水仙の香りが漂う。
ようやく圧迫骨折が治って日常が戻ったけれど、体力が落ちてしまって以前のようにさっさと家事が出来ない。
今朝も、庭に出て植木に水をやったり箒を使ったりしただけなのに「ああしんど」となる情けなさ。
いつの間にか母の亡くなった年齢に近くなってしまった。
私の年齢の頃母はどんな暮らしをしていたのか思い出している。
父が脳梗塞で入退院を繰り返し、ついにずっと病院暮らしになってしまっていた。
だから母は一人ぼっちで、お手伝いのFちゃんと暮らしていた。
病院の父には付き添いさんが24時間面倒を見てくれていたし、それらはC子姉ちゃんや兄嫁のKさんが管理してくれていた。
母は庭の手入れを楽しんでいた。
植木屋が良く出入りしていた様に思う。
今の高齢者の様に、断捨離をしましょうなんて考えは全く無くて、まだまだ長生きする予定だったみたい。
ある日、急な激しい痛みが起こって掛り付けの医者が往診してくれたが、原因が分からず痛み止めの座薬を使ったが、痛みは去らず弱ってきたのでついに入院した。
今、ふと思うのは、もしかしたら私と同じ圧迫骨折ではなかったか?
内科の先生では判断できないし、レントゲン検査でも見つけ難いのが圧迫骨折。
痛みで食欲も衰えて体が弱ったのでは無いだろうか。
痛みの原因が何か分からぬまま、半年ほど入院して痛みは無くなっていたのに身体は回復せずに逝ってしまった。
86歳だった。
父と同じ病院に入院したので、車椅子で別の病棟に居た父に会いに行ったりしたが、父より早く死んでしまった。
最後まで頭が確かだったのも辛かった。
「美容院に行かれへんから退院する時に被る帽子を編んでくれへんか?」
と私に頼んでいたのに。
家に帰れると思っていた母。
父が倒れた時は家でベッドを使っていた様に思うが、母はずっと布団で寝起きをしていた。
母が入院するまで、夜実家で母に付き添った時、お手洗いに起きるのが痛くて辛くて可哀想だった。
ベッドを使っていたら、寝たり起きたりが少しは楽だったかも・・・とあれこれ考えて思い出してちょっと悲しくなってしまった。